綿引勝彦
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わたびき かつひこ
綿引 勝彦
本名綿引 勝彦
別名義綿引 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}洪(ひろし)
生年月日 (1945-11-23)
1945年11月23日
没年月日 (2020-12-30) 2020年12月30日(75歳没)
出生地 東京都
民族日本人
身長173cm
血液型AB型
職業俳優
ジャンル映画テレビドラマ舞台
活動期間1970年代 - 2020年
配偶者樫山文枝
主な作品
テレビドラマ
天までとどけ』シリーズ
ナニワ金融道』シリーズ
鬼平犯科帳』シリーズ(中村吉右衛門版)
映画
極道の妻たちシリーズ』CM
ピカチュウげんきでちゅう
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綿引 勝彦(わたびき かつひこ、1945年昭和20年〉11月23日[1][2] - 2020年令和2年〉12月30日)は、日本俳優。本名:同じ。旧芸名:綿引 洪。血液型AB型東京都武蔵野市出身[1][2][3]日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学藝術学部中退。劇団民藝[1]を経て、劇団「綿帽子」主宰。
来歴

少年時代から将来の夢はプロ野球選手[3][4]、中学まではずば抜けて上手かったが[3]、進学した日本大学鶴ヶ丘高等学校の野球部にはゴロゴロ凄い選手がいて、プロ野球の夢は一気に砕け散った[3]。将来の夢が全くなくなったとき、女友達に[3]仲代達矢栗原小巻主演の俳優座の舞台『令嬢ジュリー』に誘われ、「新劇って凄い」と感激、演劇の世界に目覚める[3][4]。進路を役者に定め、高校卒業後日本大学藝術学部に入学[3][4]1965年に中退。劇団民藝へ入団するが[3][4]、名優目白押しの民藝ではいい役は付かず[3]、地方公演で先乗りして、大道具の準備が主な仕事だった[3]。ある日、日生劇場での『アンネの日記』の公演で、アンネの部屋係に就いていたとき、下元勉が倒れ、その代役に抜擢される[3]。主役のアンネ役の樫山文枝から「いい声してるわね」などと褒められた[3]。やがて「樫山がやくざ風の男と歩いていた」と騒がれ始め、二人の結婚が決まると世間が驚いた[3]。当時の綿引は全くの無名俳優で、弾き語りアルバイトで生計を立てていて、収入は雲泥の差だった[3]。異色カップルにCMなど夫婦共演が多数企画されたが、綿引はこれを全て拒否した[3]1982年には役者を始める切っ掛けになった仲代達矢と『鬼龍院花子の生涯』で共演を果たす[3][4]1985年に7年間に及ぶ全国縦断の地方公演「宇野重吉一座」の計画が持ち上がり[3]、当時40歳になっていた綿引は参加を断念し[3]、同年民藝を退団[3]

フリーになって強面を活かし、東映のヤクザ映画などに多数出演し[3]、ジワジワ売れた[3]。悪役・敵役以外では、『鬼平犯科帳』での密偵・大滝の五郎蔵役や『天までとどけ』シリーズでの良き父親役が当たり役となって以降、善人役もこなしていた[3]

1990年代後半、『ピカチュウげんきでちゅう』のCMでコミカルな味を出して新境地を開く(『ポケットモンスター』のCMに立て続けに出演し、「ポケモンおじさん」とあだ名された)。最初はこのCM依頼に「起用する役者さん間違ってませんでしたか?」と驚いたことをTBS系『ズバリ言うわよ!』(2007年6月5日放送分)で語っていた。

WXIII 機動警察パトレイバー』には主人公・久住武史役で声の出演を果した。

2005年、胸部動脈瘤を患い[3]、出演予定だった舞台を降板。一時生死の間を彷徨う試練を経て回復した[3]

2011年から放送開始された、ブルース・ウィリス出演のダイハツ工業ミライース」CMシリーズにおける宣伝部長役で注目を集めている。2012年には同シリーズでウィリスの吹き替えに挑戦するCMが制作され、さらにウィリス出演の映画『セットアップ』・『エクスペンダブルズ2』では吹き替えを担当した[5]

2018年8月、膵臓内の嚢胞を取り除く手術を行った際に進行性のがん細胞が発見され、翌2019年12月には肺へがんが転移した。2020年2月から本格的な化学療法がスタートし、厳しい副作用に耐えてきたが、同年11月には積極的な治療は打ち切られたという。その後は自宅で療養していたが、同年12月25日未明に容態が急変して入院し、12月30日12時54分、膵臓がんのため、死去[6][7][8]。75歳没。訃報は年が明けた翌2021年1月13日に公表された。

葬儀は近親者のみで行われ、喪主は妻の樫山が務めた。樫山のコメントによると、綿引本人の強い希望により病気について誰にも明かさず、自宅と信州の山小屋で療養をしながら身辺整理をしていたという。最期の言葉は将棋で降参を示す「投了すると伝えてくれ」だった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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