綾瀬はるか
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あやせ はるか
綾瀬 はるか
2015年第68回カンヌ国際映画祭にて
生年月日 (1985-03-24) 1985年3月24日(39歳)
出身地 日本広島県広島市[1]
身長166cm[2]
血液型B型[2]
職業俳優
ジャンルテレビドラマ映画CM
活動期間2000年 -
活動内容2000年・ホリプロタレントスカウトキャラバン審査員特別賞受賞し、デビュー
事務所ホリプロ[3]
公式サイト綾瀬はるか ホリプロオフィシャルサイト
主な作品
テレビドラマ
世界の中心で、愛をさけぶ
白夜行
ホタルノヒカリ』シリーズ
鹿男あをによし
MR.BRAIN
JIN-仁-』シリーズ
南極大陸
八重の桜
きょうは会社休みます。
わたしを離さないで
精霊の守り人
奥様は、取り扱い注意
義母と娘のブルース
天国と地獄?サイコな2人?
元彼の遺言状』映画
僕の彼女はサイボーグ
ザ・マジックアワー
ICHI
ハッピーフライト
おっぱいバレー
プリンセス トヨトミ
映画 ホタルノヒカリ
海街diary
本能寺ホテル
今夜、ロマンス劇場で
リボルバー・リリー』声の出演
Mr.インクレディブル』シリーズ

 受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
2010年おっぱいバレー
2016年海街diary
2024年リボルバー・リリー
ブルーリボン賞


主演女優賞

2010年おっぱいバレー

その他の賞
毎日映画コンクール
女優主演賞
2016年『海街diary』TAMA映画賞
最優秀女優賞
2015年『海街diary』ヨコハマ映画祭
主演女優賞
2016年『海街diary』報知映画賞
主演女優賞
2023年レジェンド&バタフライ』『リボルバー・リリー

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綾瀬 はるか(あやせ はるか、1985年昭和60年〉3月24日[2] - )は、日本の俳優ホリプロ所属[3]
略歴
生い立ち

広島県広島市出身[1]安佐南区で育つ[4]。実家は農家で、野菜を季節ごとに全般的に作っている[5]。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

芸能活動

2000年、第25回ホリプロタレントスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞し[6][7]、芸能界デビュー[8]。受賞当時は蓼丸綾(たでまる あや)の名義であり、のちに綾瀬はるかの芸名で活動を開始する。

2001年、日本テレビ系ドラマ『金田一少年の事件簿』で俳優デビュー[9]

2003年、フジテレビ系ドラマ『僕の生きる道』で初の連続ドラマレギュラー出演[10]

2004年、TBS系ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』のヒロインに抜擢される[10]

2005年、年末に第47回日本レコード大賞で司会を務める[11]

2006年3月24日、小林武史プロデュースによるシングル「ピリオド」で歌手デビュー[12]オリコンチャート初登場8位を記録。

2007年、日本テレビ系ドラマ『ホタルノヒカリ』で初の連続ドラマ単独主演[10]2010年にパート2が放送、2012年に映画版が公開されるほどのヒット作となる[13]

2013年、『八重の桜』でNHK大河ドラマ初出演および主演[14]。年末に第64回NHK紅白歌合戦で紅組司会を務める[15]

2015年、出演作『海街diary』が第68回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品される[16][17]。年末に第66回NHK紅白歌合戦で2年ぶり2回目の紅組司会を務める。

2016年、NHK製作の大河ファンタジードラマ『精霊の守り人』にて主人公バルサ役を演じる[18]。短槍使いの用心棒という役柄から殺陣も披露[19]。第1シーズンから第3シーズン(最終章)まで演じる[20]

2019年、第70回NHK紅白歌合戦で、4年ぶり3回目の紅組司会を務める[21]

2022年、『元彼の遺言状』で「月9」初出演および初主演[22]。フジテレビの連続ドラマへの出演は『鹿男あをによし』以来、14年ぶり。

2023年、映画『レジェンド&バタフライ』『リボルバー・リリー』での演技が評価され、第48回報知映画賞主演女優賞を受賞した[23]
人物
エピソード

ホリプロスカウトキャラバンには友達に誘われて参加した。その気になった理由は「部活を休むための口実」だった[24]。特技ではやることがなかったので学校で流行っていたウサギのまねをした[25][26]。バラエティ番組に出演する際に、特技として披露することもある。

芸名はインターネット上で公募し、応募された16,000件の中から本人とスタッフで選び、2001年2月28日に「綾瀬はるか」に決定した[27]

2004年頃まではグラビアモデルとしての活動を主にしていた。写真集や週刊誌の他、『コスモエンジェル』(東海テレビ)などのローカル番組での体当たりのキャラクターが人気を博した。しかし、デビュー後1年で仕事に対するストレスなどから約7kg体重が増えてしまい、『ビューティーコロシアム』(フジテレビ)でダイエットに失敗したら引退するという企画にグラビアアイドルの肩書きで参加。1か月と3週間で8kg以上のダイエットを敢行するといった事もあった。その後、俳優として評価されるにつれてグラビアの活動は減ったが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}現在[いつ?]も週刊誌などに登場することがある。

『世界の中心で、愛をさけぶ』では、白血病に冒されたヒロインを演じる為に、映画版で同役を演じた長澤まさみ同様、剃髪を行った[注釈 1]。他にも作中の描写に合わせるために体重を増減させるなどの役作りをした[28]

鹿男あをによし』を収録中、人生について考えることが多々あったため共演者の児玉清と深夜まで人生について語り合ったことが何回もあった[29]

綾瀬の祖母の姉(大伯母)は、1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下で亡くなった[1]2005年、戦後60周年特別企画のドキュメンタリー「ヒロシマ」(TBS)で広島の実家を訪れた綾瀬は、それまで決して原爆のことを語らなかった祖母から、初めて話を聞いた[1]

2014年8月、広島帰省中に広島市北部の山あいで土砂災害が発生、綾瀬は母校の中学校や友人の安否確認をした[4]。わずか3日間の滞在だったが、家ではなすとかトマトとか、家の畑の野菜を使って、両親のためにいろんな料理を作ってあげたという[4]

脚本家・小説家の和田竜は小・中学校の同窓である[5]。2014年、和田竜との対談で綾瀬は「広島に帰省したら頬っかむりして農作業をしていて、出荷するためにグラムを量って、水菜の場合は短い葉っぱ、ほうれん草の場合は周りの茎を取って根を短く切って、真ん中が高くなるように並べて、袋に入れてシールで封をする作業が好き」と述べている[5]


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