この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年9月)
綾戸 智恵
出生名綾戸智恵(あやど ちえ)
別名綾戸智絵(あやど ちえ)
生誕 (1957-09-10) 1957年9月10日(66歳)
出身地 日本 大阪府大阪市阿倍野区
学歴明浄学院高等学校
ジャンルJ-POP
職業ジャズシンガー
公式サイトCHIE AYADO Official WebSite
綾戸 智恵(あやど ちえ、1957年9月10日 - )は、日本のジャズシンガー。本名同じ。2007年9月10日以前は綾戸 智絵という芸名で活動していた。大阪府大阪市阿倍野区出身。 幼少時から両親の影響でジャズとハリウッド映画に囲まれて育ち、小学生の頃からジャズへの造詣を深めた[1][2]。 17歳の時に高校を休学して3ヶ月間単身で渡米するとアメリカの魅力にハマり、以後10数年間に渡り帰国と渡米を繰り返す[3]。その後滞米先でアフリカ系アメリカ人の男性と結婚して一男を儲けるもほどなくして離婚し、息子と共に帰国(渡米の詳細は後述)。 1991年の帰国後は家族と暮らす神戸市に活動の拠点を置き、ジャズヴォーカリストとして大阪のジャズクラブで歌い始めるなど本格的に活動を開始[1]。以後「横浜ジャズプロムナード」、「モントレージャズin能登」、「長野ジャズコレクション」など、国内各地でのジャズコンサートに多数出演した。ピアノ弾き語りのスタイルで知られ、ライブでは軽妙なトークも披露し、その後自主制作CDを3枚発表[4]。 1998年6月21日、40歳にしてアルバム『For All We Know』で実質的にメジャー・デビューを飾り、ジャズファンを中心に多くの音楽ファンに衝撃を与えた[1][注 1]。以来、年間100回以上のコンサートで歌い、毎年2枚単位でCDを発表している[4]。その“関西のおばちゃん”らしい親しみやすいユーモラスなキャラクターや、小さな身体から弾けだすようなパワフルな歌声で人気を集めた[3]。 1999年に弾き語りアルバム『LIFE』をリリースし、『テネシーワルツ』、『アメイジング・グレイス』のカバーが代表曲となった[1]。また、同年初春にドキュメンタリー番組に出演したのを皮切りに、以後様々なテレビ番組に出演するようになった[5]。同年からは、秋から冬にかけて行う全国ツアーが恒例となるが、チケット発売と同時に完売となる会場が続出し、“最もチケットが買えない歌手”の異名がついた[4]。 2000年度の第51回芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)受賞[1]。2001年化粧品会社の「AVON」が、その年に最も社会に貢献し、輝きを放った女性を選出する「AVON Awards To Woman」の「芸術賞」を受賞[4]。 2003年12月に大阪城ホールと東京国際フォーラムにて、5周年記念特別コンサートを開催し、大成功を治めた[4]。また、同年末の紅白歌合戦に初出場を果たして[注 2]「テネシーワルツ」を歌唱し、大きな話題となった[1]。 2004年には『わかば』にジャズシンガー・瞳しずか(木村福子役)でドラマ出演。 2006年頃までは音楽だけで食べていけるか不安だった。しかし、2007年にデビュー10周目を迎えてようやく「よし歌い続けよう」と意志を固めたことから、同年9月10日より芸名の「智絵」から本名の「智恵」に変えた[6]。 2008年51歳の頃に、母親が脳梗塞で倒れて介護が必要となり、活動を一時休止して実母の介護に専念した。しかし、本人に思うところがあって2009年に芸能活動を再開させ、以後仕事をしながら介護生活を送った。 2010年3月19日、母親の介護疲れから精神安定剤を多量に服用して緊急入院。同年3月27日、大阪府岸和田市の浪切ホールで復帰コンサートを行い、「テネシー・ワルツ」他全17曲を歌った。『新参者』第5話にも出演した。同年6月12日には、子どもの頃からの憧れだった「原信夫とシャープス&フラッツ」と東京国際フォーラム ホールAで再共演をする一度限りの“MY WAY”コンサートを行った。 2013年2月17日、アニメ『宇宙兄弟』で自身初の声優を務めた[7]。 2014年に事務所、レコード会社から独立し、有限会社「まいど」を設立[1]。 2017年にデビュー20周年を迎えた。以後もジャズを中心にゴスペル、ソウル、ロック、ポップスなど幅広いレパートリーを巧みに取り入れたステージで、多くのファンを魅了し続けている[1]。 大阪市阿倍野区出身。母親は福岡県出身で綾戸自身の本籍地も福岡県。母親は、食糧庁やGHQに勤務。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}プロテスタントのクリスチャン[要出典]である。実父は旅回りの芸人だったが、綾戸が2歳のときに50代で亡くなっており、後年この事実を知るまで養父を父と思って育った[8]。母親より30歳年上だった養父は、綾戸が中学生の頃に老衰で他界している[6]。 両親(母親と養父)からは幼い頃から全く子ども扱いされず、大人と同じものを見聞きしたり同じものを食べさせてくれたという。また母親は独特な価値観を持っていたこともあり[注 3]、両親から自由な教育方針でのびのびと育てられた[3]。 ジャズや浄瑠璃など音楽好きな両親のもとで育ち、幼稚園はフランス系のミッションスクールに通った[6]。
来歴
人物
子供時代