網走番外地_(曲)
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「網走番外地」
高倉健シングル
B面流れのブルース / 三界りえ子
リリース1965年1月
2014年12月31日(再発盤)
規格7インチシングル
マキシシングル(再発盤)
音楽配信
ジャンル歌謡曲
レーベルテイチクレコード
テイチクエンタテインメント(再発盤)
作詞・作曲原作:伊藤一
替歌:タカオ・カンベ
採譜・編曲:山田栄一
チャート最高順位


週間124位(オリコン / 再発盤)[1]

高倉健 シングル 年表

愛のブルース
1959年)網走番外地
1965年)男の裏町
(1965年)


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「網走番外地」(あばしりばんがいち)は、1965年(昭和40年)1月に高倉健がリリースしたシングル
概要

1965年に公開された映画『網走番外地』の主題歌。レコード売上は公称200万枚[2]

歌詞の内容は特段問題になるような箇所があったわけではないが全体的なイメージが犯罪の肯定、反社会的な風潮の助長するおそれがあるとして日本民間放送連盟の内部規定要注意歌謡曲指定制度にある「退廃的、虚無的、厭世的言動を、肯定的または魅力的に表現したもの」などに基づいて、放送禁止となるAランク指定を受けていたが[3][4][5][6][7][8]、映画公開同年(1965年)にテイチクレコードがレコード制作基準倫理委員会(レコ倫)を通さず発売して業界内で問題視された。その後なし崩し的に、同年にキングレコード1969年にテイチクレコード、1970年にキングレコード、1971年クラウンレコードから発売されたが、1972年に各社間での協議により以降レコード化しないという自主規制の取り決めが交わされ、1980年代末に同制度が廃止されるまで発売・放送不可になっていた。歌詞は2種類存在、1965年版は酒を「きす」、娘を「スケ」などヤクザの隠語が含まれ1979年まで先の制度の指定を受けた[9]。1970年代半ばには生放送のワイドショーに出演したWBC世界ライト級王者ガッツ石松が当初『長崎は今日も雨だった』を歌う予定だったが突然ガッツが「尊敬する高倉健さんに捧げたい」と曲を網走番外地に変更、楽譜の用意もなく勘を頼りにバンド演奏が始まりフルコーラスが歌われたが、出演者やスタッフはこの曲が放送禁止指定を受けていることを知らず番組終了間際にプロデューサーがその事実を知り蒼白になったが、テレビ局内で処分を受けた人間はおらず問題には発展しなかった[7]

同じようにヤクザを題材にした楽曲には、藤純子の「緋牡丹博徒」や北島三郎の「仁義」があるが、どちらも要注意歌謡曲指定制度の審査対象にはなったものの指定は受けなかった。「『網走番外地』が放送禁止で、なぜ『緋牡丹博徒』や『仁義』は放送可能なのか」という意見もあった[10]

ファンからCD化の要望が多数寄せられたため、2014年12月31日にオリジナル盤を復刻しCDシングル化された。オリジナルのジャケットデザイン2種類も、折込型のWジャケットとして復刻している[11]
主題歌が起用されるまでの経緯

原曲は1931年橋本国彦が「足利龍之助」の変名で作曲しビクターから発売された「レビューの踊子」(同名日活映画の主題歌。作詞:市橋一宏、歌:羽衣歌子田谷力三、桜井京)である[12]。東映宣伝部のOBで当時JASRACの事務局長をしていた吉田信が、岡田茂東映取締役(当時)のところに来て、子分だった山田栄一を紹介し「こいつあんまり仕事がないんだよ。頼む」と言い、山田が曲を持ってきて「『網走番外地』はこれでやりませんか。詞は作者不詳なんですが、流行ってるみたいです。うちがこれでものにしちゃえば、著作権うちのものになりますから」と話し、曲を聴いた上で岡田が使用を決めた[13]。「網走番外地」発売時に橋本は亡くなっていたので、作曲者として名乗りを上げる事が出来なかった。

企画者の今田智憲が固執したのは主題歌で、しかも企画の段階から「健さんに歌ってもらえないかなあ」と言っていた[14]。無類の照れ屋である高倉が断るのは決まっていると誰でも予想できたので、石井輝男に説得を頼み何とか了解を得た[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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