絵巻物(えまきもの)は、日本の絵画形式の1つで、紙もしくは絹を水平方向につないで、長大な画面を作り、情景や物語などを連続して表現したもの。「絵巻」とも言う。絵画とそれを説明する詞書が交互に現われるものが多いが、絵画のみのものもある。
現存する最古の絵巻物は、奈良時代に制作された『絵因果経』とされ、室町時代までは盛んに制作され、江戸時代や明治時代にも作例がある。 紙・絹などを横方向につないで、水平方向に長大な面を作り、終端に巻き軸をつけ、収納時には軸を中心にして巻き収めることができるようにした装丁形式を「巻子装」(かんすそう)と言い、このような装丁で作られた書物、経典、絵画作品などを「巻子本」、より一般的には「巻物」という。巻子本は中国、朝鮮半島、日本などの東アジアにおいて盛んに作られた。 また、日本美術史用語における「絵巻物」とは、日本で制作された、やまと絵様式の作品を指すことが多い。中国で制作された巻物の絵画作品は「画巻」「図巻」等と呼ぶのが普通であり、日本人作品であっても、雪舟『山水長巻』(毛利博物館蔵)のような「唐画」作品については、「絵巻物」と呼ばれないのが普通である。 奈良時代に『絵因果経』と呼ばれる、絵解き経典が各所に伝わっている。これは、巻物の紙面の下半分には、釈迦の前世と成仏について述べた経典を写し、上半分には経典に対応する絵画を描いたものである。この絵画は、絵師によるとは考えがたい、素朴なものである。これを現存する絵巻の嚆矢とする。 平安時代になると、『枕草子』『伊勢物語』『源氏物語』『宇治拾遺物語』などの物語絵や、説話を題材とした絵巻が制作されるようになった。これらは、金箔・銀箔を裁断したや野毛(のげ。長さ1センチ以下、幅1ミリ程度)、砂子(すなご。砂のように細かくした金銀箔)を撒き、金泥・銀泥で花鳥などの下絵をあしらった料紙に、連綿体で書かれた詞書と、それに対する絵を、交互に配する独特の様式を生み出した。 『源氏物語』の「絵合(えあわせ)」の帖を参照すると、平安時代前期?中期にも多くの物語絵が制作されたことが分かるが、9世紀 - 11世紀までの絵巻物は一切残っていない。 「(平安期の)「四大絵巻」と称される、『源氏物語絵巻』『伴大納言絵巻』『信貴山縁起』『鳥獣人物戯画』は、いずれも平安時代末期、12世紀の作と考えられる[注釈 1]。 鎌倉時代室町時代には、歌仙絵巻、戦記絵巻、そして寺社縁起や高僧の伝記絵巻などが多く制作された。 また室町期には、御伽草子絵巻の成立に代表される、新しい画題の成立や作品の平明化、といった新たな展開も見られる。 江戸時代にも、巻物形式の絵画は多く制作され、岩佐又兵衛諸作品が代表例である。また浮世絵師が武家・豪商・豪農らの注文により、豪華な春画絵巻[1]を揮毫した。 明治時代に入っても、下村観山『大原御幸』(東京国立近代美術館蔵)のような絵巻がある。 「絵巻」という語には、『源氏物語絵巻』『紫式部日記絵巻』のように、作品名に「○○絵巻」と付けて巻子装の作品であることを表す用法と、巻子形式の絵画を総称した概念として「絵巻」ないし「絵巻物」と呼ぶ場合とがある。ただし、これらの「絵巻」「絵巻物」の語は、近世になって使われだしたもので、中世以前の記録では単に「○○絵」と呼ばれている。 絵巻物の作品名称としては、「○○絵詞(えことば)」「○○草紙」「○○絵伝」等と称するものも多い(例としては『平治物語絵詞』『地獄草紙』『法然上人絵伝』など)。このうち、「絵詞」とは、「絵の詞」、つまり、ある特定の絵に対応する文章というのが本来の意味であることが指摘されており、「絵詞」よりは「絵巻」の方が作品名として適切であるとの説もある。
定義
歴史
名称
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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