統一戦線義勇軍
[Wikipedia|▼Menu]

日本政党統一戦線義勇軍
議長針谷大輔
成立年月日1981年昭和56年)9月
本部所在地神奈川県横浜市[1]
政治的思想・立場新右翼
民族派
反米
YP体制の打破
反グローバル主義
脱原発
機関紙『義勇軍報』(中央機関紙、季刊)
『緑旗』(中央委員会通信、不定期刊)[2]
公式サイト ⇒統一戦線義勇軍公式サイト
テンプレートを表示

統一戦線義勇軍(とういつせんせんぎゆうぐん)は、日本の民族派新右翼団体[3]。略称は義勇軍[2]。新右翼の代表的な団体であり[4]、先鋭的な活動で知られている[5]

アメリカの国家犯罪を日本の側から裁く」ことが義勇軍の原点だとしている[3]。民族派陣営として初の「反米デー」を提唱したとされ[2]自衛隊工作活動や[2]新左翼のスタイルを取り入れ[6][7]、ヘルメットに覆面(マスク、サングラス)というゲバルトスタイルでデモをするなど[8][9]、従来の右翼団体とは異なる運動を行っている[10][2]。ヘルメットの色は[11]。かつては一水会の関連組織(「実践組織」[12][8]「行動組織」[13][14]「別働軍事組織」[15])であったとされる[16]が、現在は一水会とは全くの別組織[17][16]となっている。脳死者の臓器移植に反対の立場をとる[18][19]

兵庫県に関西管区として支部がある。スローガンは「反米愛国・自主独立! 自衛隊解体・国軍創設!」
沿革

1981年8月9日「反ソ統一戦線義勇軍」が結成され、9月23日「統一戦線義勇軍」に改称された[20]。北方領土奪還青年委員会、一水会、大日本皇心塾、日本憂国同志会などの若手活動家が既成の枠を超えた新たな運動をつくるため[21][22]木村三浩を中心に統一戦線義勇軍を結成した[2]東京都中央区の水谷橋公園で結成[23]、初代議長は木村三浩、書記長は清水浩司(本名・高橋哲夫、後の見沢知廉[22]。戦後体制の打破を主張し[22]、「反米愛国・抗ソ救国・民族自決・反権力」をスローガンとする[7]。大日本皇心塾、日本憂国同志会は離脱し、北方領土奪還青年委員会は1983年3月に解散して義勇軍に参加した[22][24]

1982年5月、機関紙『義勇軍報』創刊[22]。6月、マルビナス紛争(フォークランド紛争)でイギリスの植民地主義に反対してアルゼンチンを支持し、隊員が神田神保町英国大使館文化参事官事務所のあるビルに火炎瓶を投げ込む[25][26][27]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef