凡例結城持藤生誕不明死没不明(寛正3年(1462年)5月1日頃か[1])別名通称:十郎、勘解由左衛門尉浄孝(法名)[2]官位越後守幕府室町幕府主君足利義持氏族結城氏父母結城満藤子政藤テンプレートを表示
結城 持藤(ゆうき もちふじ)は、室町時代の武将である。越後守を務めた。通称は十郎、勘解由左衛門尉。概要足利義満の寵臣・結城満藤の子。奉公衆二番衆に名前を連ねている。史料上確認できる下限は『蔭涼軒日録』寛正3年(1462年)5月1日条である[3]。脚注[脚注の使い方]^ 『蔭涼軒日録
足利義満の寵臣・結城満藤の子。奉公衆二番衆に名前を連ねている。史料上確認できる下限は『蔭涼軒日録