結いの党
[Wikipedia|▼Menu]

日本政党結いの党
代表・江田憲司
成立年月日2013年12月18日(設立総会)
前身政党みんなの党(一部)[1]
解散年月日2014年9月21日
解散理由日本維新の会との合流[1]
後継政党維新の党[1]
本部所在地〒100-0014東京都千代田区永田町二丁目9-6[2] 十全ビル703
政治的思想・立場保守主義[1]
自由主義[3]
平和主義[3]
官僚[3][4]
中央集権[3][4]
利権[3][4]
地域主権[4][5]
規制改革[5]
テンプレートを表示

結いの党(ゆいのとう、英語: Unity Party)は、かつて存在した日本の政党。略称は、結い[6]
概要

みんなの党除籍された江田憲司を代表として結成された。みんなの党に所属していた国会議員(衆議院議員9人、参議院議員6人の計15人)および地方議会議員の一部が参加した。

2013年12月18日結党。2014年9月21日、解党して日本維新の会と合併、維新の党を結成。
党名

党名は12月13日の準備会合にて、50以上の候補から絞られた「あしたの党」「新党ひびき」「正義党」「民権党」「結いの党」(五十音順)の5候補に対し、会合に出席した国会議員14人・秘書3人の計17人が2票ずつ無記名投票。その結果、「民権党」「結いの党」が各10票、「あしたの党」が7票、「新党ひびき」が5票、「正義党」が2票となり、その後、同数1位であった「民権党」と「結いの党」の2候補に対し、国会議員15人が電子メールによる決選投票を行い、「結いの党」に決定した。

「結いの党」は江田の発案によるもので、江田は「野党再編を明確にする党のため、各政党を結びつけ、束ねる結節点になり、野党連合勢力を結集していく意味合い」と説明した[7]
目標

我が国の政治状況は、自民党の「一強多弱」と評される中で、官僚主導、族議員主導が強まり、国民が置き去りにされつつある。今こそ、政治理念と基本政策の一致を前提に野党勢力を結集し、与党・自民党に代わって、政権担当可能な一大勢力をつくらなければならない。我が党はそのための「触媒」となり、身を捨てる覚悟で、党の発展的解消も辞さず、真の改革勢力を結集していく[8]
党史2010年代の第三極の離合集散
結党

2009年8月8日渡辺喜美江田憲司が中心となりみんなの党が結党されたが、2013年頃になると党運営や日本維新の会との合流を巡って代表・渡辺と幹事長・江田との党内対立が激化。8月7日に幹事長を解任された江田が年内の新党旗揚げへと動き、12月9日、江田を含めた衆議院議員8人・参議院議員6人の計14人がみんなの党へ離党届を提出した。12月18日に新党設立総会を開催、12月20日に政党設立届を総務省へ提出し、受理される。結党には、12月9日にみんなの党へ離党届を提出した14人と、8月23日にみんなの党を離党していた衆議院議員・柿沢未途の計15人の国会議員が参加した。設立総会では、「結いの党」の党名も発表された。

しかし、前所属政党であるみんなの党は、江田・柿沢を除く13名の比例代表で当選した衆・参議院議員について「みんなの党がいただいた議席なので、返していただきたい」として議員辞職を求めみんなの党院内会派からの離脱を拒否、江田は「仮に会派離脱が認められなければ、質問に立てず、全く国会活動できない」として会派離脱の許可を要求した[9]

2014年1月18日、「結いの党」結党大会を開き、野党勢力結集を目指すことを改めて表明した[10]。これを受けてみんなの党は同月23日、衆議院においては各議員の対応について「本人の意思を尊重する」という申し合わせが成立し、衆議院議院運営委員長立ち会いの元で結いの党に移籍した議員7人に対し個別に事情聴取を行うことを条件にみんなの党会派離脱を認め[11][12]、衆議院では新会派「結いの党」が誕生した。参議院でも遅れて会派離脱が認められ[12]、2月14日に新会派「結いの党」が誕生した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef