経度賞
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地球上の経度線

経度賞(けいどしょう、longitude rewards)は、イギリス政府が、船舶において現在地の経度を正確に決定するための簡単で実用的な方法に対して提供した報奨金の制度である。1714年に議会法(経度法)によって制定され、報奨は経度委員会によって管理された。

経度決定の問題に対する報奨金制度は、これが初めてではなかった。スペイン国王フィリップ2世が1567年、フィリップ3世が1598年に6000ドゥカートの報奨金と年金を提供し[1]、同じ時期にオランダ国会は1万フローリンを提供した[2]。1675年、ロバート・フックはばね仕掛けの時計を発明したことにより、英国で1000ポンドの報奨金を申請しようとした[3]。このような巨額の報奨金は支払われなかったが、何人かは重要な功績に対して少額の報奨金を受け取った。
経度の問題

経度の測定は、人々が大洋横断の航海を始めたときから焦点となっていた問題だった。正午の太陽の高度から、その日の太陽の赤緯を与える表を使用することにより、緯度を決定するのは比較的簡単だった[4]。経度については決定する方法がなく、初期の航海士は、船舶の針路の方位と速度からの計算に基づく推測航法に頼らなければならなかった。その多くは、船長や航海士の直感に基づいていた。これは、陸地の見えない場所での長い航海では不正確であり、現在地を見失って遭難することも多かった。正確な経度の決定は、磁気偏角を決定するためにも必要だった。これは方位磁針が示す磁北真北の間の差であり、大西洋やインド洋の重要な航路では最大で10度異なることがある。そのため、海上において経度を判断するための適切な解決策を見つけることが最も重要だった。

経度法では、海上での経度の決定についてのみ規定していた。17世紀以降、陸上で合理的に正確に経度を判断するのは、天文学的な「時計」として木星ガリレオ衛星を使用することによって可能になった。月は陸上で容易に観測できたが、船の甲板からそれを確実に観測しようとする多くの試みは失敗に終わった。経度を特定するためのその他の取り組みの詳細については、「経度の歴史」を参照のこと。

長く航海するためのより良い航法精度の必要性は、1714年にイギリスで経度法が可決されるまで、何世紀にもわたって多くのヨーロッパ諸国によって探求されてきた問題であった。ポルトガル、スペイン、オランダは、1598年という早い時期に経度の問題を解決するための金銭的なインセンティブを提供した[5]

経度の問題への対処は、主に3つのカテゴリに分類される。地上のものを使うもの、天体を使うもの、機械を使うものである[5]。これには、詳細な地図、月の運行表、および海上での計時メカニズムが含まれていた。1714年の経度法と最大かつ最も有名な報酬である経度賞の提供の迅速な可決をもたらしたのは、科学的・技術的な好奇心ではなく、海洋探査で得られる経済的利益と政治的権力であると、学者は主張している[6]
報奨制度の成立

1700年代初頭には、1707年のシリー諸島での海軍艦隊の大破など、大規模で悲劇的な海上災害が多く発生した[7]。その頃、数学者トーマス・アックスは、「真の経度」を見つけるための有望な研究に対して1000ポンドの賞を授与し、世界地図の修正に携わった学者に毎年金銭を支払うことを決めた[8]

1713年、ウィリアム・ホイストンとハンフリー・ディットン(英語版)の経度法案が国会の開会時に発表され、経度の問題を一般的に理解することにより、1714年7月8日に国会委員会が設立され経度法が速やかに可決された[8]。この法律では、正確さのレベルに基づいた以下の3種類の報奨金が規定されている。これはアックスの賞と同じ精度要件であり、ホイストンとディットンが請願書に設定し、アイザック・ニュートンエドモンド・ハレーによって議会委員会に推薦されたものである[9]

10,000ポンド(2015年で130万ポンド相当[10]) - 1(60海里 (110 km; 69 mi) )に相当)以下の精度で経度を決定できる方法に対して

15,000ポンド(2015年で196万ポンド相当[10]) - 40以下の精度で経度を決定できる方法に対して

20,000ポンド(2015年で261万ポンド相当[10]) - 30分以下の精度で経度を決定できる方法に対して

さらに、沿岸から80地理マイル以内(船舶が最も危険にさらされる場所)で機能する方法を発見した人、および、有望なアイデアを持っているが試験のために財政的支援を必要とする人に報奨金が与えられた。

提案された方法は、イギリスから西インド諸島の港まで航海し(約6週間)、その間、提案された方法によって上記の範囲内で経度を決定できるかによって試験される。また、候補者は、経度がすでに正確に分かっている特定の陸上地物の経度を決定することによって、彼らの方法の正確さを実証することを要求される。議会委員会は経度委員会も設立した。この審査委員会は、提案された解決策を検討し、賞金レベルの条件を完全には満たしていないがまだ奨励に値すると見込まれる有望なプロジェクトに対して最大2,000ポンドまでの前払いを付与する権限を与えられた[7]。報奨金の要件の正確な条件は、後にジョン・ハリソンら何人かの受取人によって争われることとなった。ジョン・ハリソンは、最終的に合計23,065ポンドの支払いを受け取ったが、20,000ポンドはなかなか支払われなかった[11]。経度委員会は100年以上存在し続けた。1828年に正式に解散され、合計で10万ポンドを超える額が支払われた[9][12]
著名な受賞者

経度法は経度の問題を解決するための非常に大きなインセンティブを提供した。オイラーやマイヤーなど、後になって報奨金を受け取った人たちの中には、そのお金がインセンティブではなく、航海術と地図作成の重要な改善であることを公に明らかにしたものがある。 ケンドールやハリソンらは、自分たちの仕事に対して十分な報奨金を求めて経度委員会や他の政府関係者に訴えなければならなかった。


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