細胞膜
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動物細胞の模式図
図中の皮のように見えるものが細胞膜、(1) 核小体(仁)、(2) 細胞核、(3) リボソーム、(4) 小胞、(5) 粗面小胞体、(6) ゴルジ体、(7) 微小管、(8) 滑面小胞体、(9) ミトコンドリア、(10) 液胞、(11) 細胞質基質、(12) リソソーム、(13) 中心体

細胞膜(さいぼうまく、cell membrane)は、細胞の内外を隔てる生体膜[1][2]タンパク質が埋め込まれた脂質二重層によって構成される。形質膜や、その英訳であるプラズマメンブレン (plasma membrane) とも呼ばれる。細胞膜は、イオン有機化合物に対する選択的透過性によって、細胞や細胞小器官への物質の出入りを制御している[3]。それに加えて細胞膜は、細胞接着シグナル伝達などさまざまなプロセスに関与し、細胞壁グリコカリックスと呼ばれる炭水化物に富む層などの細胞外構造の接着表面として機能し、細胞骨格と呼ばれるタンパク質繊維の細胞内ネットワークにも関与する。合成生物学の分野では、細胞膜の人工的な再構成が行われている[4][5][6]真核生物の細胞膜のイラスト。Cell: 細胞、Extra cellular fluid: 細胞外液、Nucleus: 、Cytoplasm: 細胞質、Cell membrane: 細胞膜、Carbohydrate: 炭水化物、Glycoprotein: 糖タンパク質、Globular protein: 球状タンパク質、Protein Channel (Transport protein): タンパク質チャネル (輸送タンパク質)、Cholesterol: コレステロール、Glycolipid: 糖脂質、Surface protein: 表在性膜タンパク質、Integral protein: 内在性膜タンパク質、Filaments of cytoskelton: 細胞骨格繊維、Alpha-helix protein: α-ヘリックスタンパク質、Peripheral protein: 周辺タンパク質、Phospholipid bilayer: リン脂質二重層、Phospholipid (Phosphatidylcholine): リン脂質 (ホスファチジルコリン)、Hydrophilic head: 親水性頭部、Hydrophobic tail: 疎水性尾部。真核生物 (Eukaryote) と原核生物 (Prokaryote) の比較。Membrane-enclosed nucleus: 膜に内包された核、Nucleolus: 核小体、Mitochondrion: ミトコンドリア、Ribosomes: リボソーム、Cell Membrane: 細胞膜、Nucleoid: 核様体、Capsule: 莢膜、Flagellum: 鞭毛、Cell Wall: 細胞壁
歴史詳細は「en:History of cell membrane theory」を参照

ロバート・フックは1665年に細胞を発見し細胞説を提唱したが、当時観察可能なのは植物細胞だけであったため、すべての細胞に固い細胞壁が存在すると誤解していた[7]。顕微鏡学者たちは、顕微鏡が進歩するまで150年以上にわたって細胞壁に注目していた。19世紀初頭に植物細胞が分離できることが判明し、各細胞は、細胞壁で結合しているが連結されていない、別個の実体であることが認識されるようになった。細胞説は動物細胞へと拡張され、細胞の保護と成長のための普遍的なメカニズムが示唆された。19世紀後半の時点では、顕微鏡は細胞膜と細胞壁を区別できるほどには発達していなかった。しかし、当時の一部の顕微鏡学者たちは、細胞膜自体の観察は不可能であったものの、細胞の構成要素の運動が外部の影響を受けないことから、動物細胞に細胞膜が存在すること、また、細胞膜は植物細胞の細胞壁に相当するものではないことを推測し認識していた。一方で、細胞膜はすべての細胞に必須の要素ではないとも推測されていた。19世紀の末まで、細胞膜の存在については多くの反論が存在しており、1890年の段階の細胞説では、細胞膜は存在するが副次的構造物に過ぎないとされていた。後の浸透圧と透過性についての研究によって、細胞膜は初めて重要視されるようになった[7]。1895年に、アーネスト・オーバートン(英語版)は細胞膜が脂質で構成されていると提唱した[8]

Gorter と Grendel は、細胞膜の構造は水面上の脂質の薄層を模倣した形でなければならないと考えた。さらに、細胞の表面積と脂質が水面に占める面積とを比較し、その比が2:1であると推計した。これによって、今日知られている脂質二重層の最初の基礎がもたらされた。1925年に提唱された仮説[9]では、結晶学石鹸の泡の観察に基づいて細胞膜の二重層構造を記述する思索がなされた (当時は疎水的相互作用はほとんど理解されていなかった)。この仮説の検証の試みとして、研究者たちは膜の厚さを測定した[7]。1925年に Fricke によって決定された赤血球酵母の細胞膜の厚さは 3.3 から 4 nm であり、これは脂質一層分に相当するものであった。これらの研究で用いられた比誘電率の選択には疑問があったが、追試で最初の実験の結果を反証することはできなかった。それとは独立して、試料から反射される光の強度を、既知の厚さを持つ膜の標準試料の強度と比較することで非常に薄い膜の厚さを測定する、レプトスコープが発明された。この器具で測定された厚さは、測定pH膜タンパク質の存在に依存して 8.6 から 23.2 nm の範囲であり、測定結果の下方の値は脂質二重層仮説を支持するものであった。その後1930年代になって、Hugh Davson と James Danielli の膜構造についてのモデル (Davson-Danielliモデル、1935) が一般的に支持されるようになった。このモデルは油と棘皮動物表面張力の比較に基づいていた。表面張力の値は水-油界面に想定される値よりもかなり低いものであったため、細胞の表面では何らかの物質が界面張力を低下させていることが推測され、2層の薄いタンパク質層の間に脂質二重層が位置すると示唆した。このモデルはすぐに評判となり、シーモア・ジョナサン・シンガー(英語版)とガース・L・ニコルソン(英語版)による流動モザイクモデル (1972) が現れるまで、細胞膜研究において支配的なモデルであった[7][10]

流動モザイクモデルは1970年代以降、細胞膜の主要な典型的モデルであり続けている[7]。流動モザイクモデルはその後の発見によって現代化され続けているが、その基礎は不変である。膜は親水性の外側の頭部と疎水性の内部から構成され、タンパク質は親水性の頭部と極性相互作用を行い、また膜を完全にまたは部分的に貫くタンパク質は非極性な脂質内部と相互作用する疎水的なアミノ酸を持っている。流動モザイクモデルは、膜の力学についての正確な表現を提供しただけでなく、後に生体高分子の記述の主要なパラメータとなる、疎水的な力についての研究を充実させることにつながった[7]
構成

細胞膜は、多様な生体物質、特に脂質タンパク質を含んでいる。その構成は固定されているのではなく、流動性や環境の変化のために常に変化しており、細胞の成長のステージによっても変動する。特に、発生のステージを通じてヒトの一次ニューロンの細胞膜中のコレステロールの量は変化しており、その変化が流動性に影響を与えている[11]

さまざまなメカニズムで物質は膜へ組み込まれ、そして取り除かれる。

細胞内の小胞の膜への融合 (エキソサイトーシス) によって、小胞の内容物が排出されるだけでなく、小胞の膜の構成要素が細胞膜へと取り込まれる。また、膜は細胞外物質の周囲にブレブを形成し、くびれ切れて小胞となる (エンドサイトーシス)。

細胞膜が膜成分からなるチューブ状構造と連続しているとき、物質はチューブから膜へと連続的に引き込まれる。

細胞膜の構成要素の水相での濃度は低い (安定な膜構成要素が水溶性が低い) ものの、脂質と水相の間での分子の交換は起こる。
膜の主要なリン脂質 (Phospholipids) と糖脂質 (Glycolipids) の例。ホスファチジルコリン (PtdCho)、ホスファチジルエタノールアミン (PtdEtn)、ホスファチジルイノシトール (PtdIns)、ホスファチジルセリン (PtdSer)、スフィンゴミエリン (Sphingomyelin)、グルコセレブロシド (Glucosyl-Cerebroside)。


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