ほそかわ としゆき
細川 俊之
本名細川 俊之(同じ)
生年月日 (1940-12-15) 1940年12月15日
没年月日 (2011-01-14) 2011年1月14日(70歳没)
出生地 日本 福岡県小倉市(現・北九州市)
(山口県下関市育ち)
死没地 日本 東京都
身長175cm
血液型B型
職業俳優、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科教授(演技演出)
ジャンル舞台、映画、テレビドラマ、ディスクジョッキー
活動期間1963年 - 2011年
活動内容#来歴・人物を参照
配偶者小川眞由美(1967年 - 1973年)
藤本典江(1974年 - 2011年)
主な作品
テレビドラマ
『ムー一族』
『はね駒』
『家なき子』
『八代将軍吉宗』
『毛利元就』
『向井荒太の動物日記 ?愛犬ロシナンテの災難?』映画
『エロス+虐殺』
『女囚さそり 701号怨み節』
『ラヂオの時間』ラジオ番組
『ワールド・オブ・エレガンス』
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細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日[1] - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋
。福岡県生まれ、山口県下関市育ち[2]。山口県立豊浦高等学校卒業、学習院大学政経学部中退。 山口県豊浦郡西市小学校、山口県豊浦郡西市中学校を経て[2]、1956年、山口県立西市高等学校に入学するが[2]、翌1957年、山口県立豊浦高等学校へ転校[2]。同校を卒業後、1959年、学習院大学政経学部へ入学[2]。大学では演劇部に所属していた。 1961年、大学を中退し、一旦下関に戻った後、再び上京し同年俳優座の試験を受け合格し、俳優座養成所第13期生となる[2]。1964年[2]、同養成所卒業と同時に石立鉄男らと文学座研究生となり、初舞台は『無害な毒薬
来歴
1967年、『シラノ・ド・ベルジュラック』での共演が切っ掛けで小川眞由美と結婚するが、1973年に離婚。長女にMAHをもうける。翌年、宝塚歌劇団48期生で宝塚歌劇団卒業生の千夏記(せん なつき、本名;藤本典江)と再婚した。
1973年には、アラン・ドロンとダリダのヒット曲「あまい囁き」の日本語版を中村晃子とのデュエットでカバーした。アラン・ドロンの吹き替えで著名な野沢那智など多数のアーティストとの競作になったが、細川の美声が話題になり、その中で一番のヒットとなった。
1994年、けいれん発作重積症により舞台「ラ・カージュ・オ・フォール」を降板。1995年に糖尿病で入院した。このため、当時撮影中だった映画『ゴジラvsデストロイア』を降板した[3][注釈 1]。同年には脳内出血で倒れたこともあると、2009年7月17日放映の『徹子の部屋』で告白した。