細密画
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ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2022年7月)


西ヨーロッパ中心に書かれており、世界的観点からの説明がされていないおそれがあります。(2022年7月)
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アエネイスの写本、ヴェルギリウス・ロマヌス(5世紀)に描かれたトロイの木馬

ミニアチュール(:miniature)または彩画(さいが)・細密画(さいみつが)とは、古代・中世の絵付き写本に収録された挿絵である。語源はラテン語のminium(鉛丹)。初期の写本の赤色インクに鉛丹が使われていたことにちなむ。中世のミニアチュールは小さいものが多かったため、「minute(微細な)」などが語源であると誤解され、小さいサイズのイラストを指してミニアチュールと呼ばれるようになった。ミニアチュールの翻訳語として細密画という表現が採用されたのもこれに由来する[1]
3-6世紀 イタリア・東ローマ天使に出会うアブラハムのミニアチュール。コットン創世記(5世紀-6世紀)より

現存する最古のミニアチュールはアンブロジア版イーリアス(英語版)(3世紀ごろの、イーリアスの挿絵付き写本)から切り出された一連の彩色画である。これらの一連のミニアチュールは古代ローマの絵画と似た技法で描かれ、扱われ方も同様である。作品それぞれの質にはかなりばらつきがあるが、人物の書き方などは古典らしい情趣があり、これ以前の技巧から影響を受けているものと推測される。背景に関しては様式的な表現ではなく、ポンペイその他ローマ時代のフレスコ画に見られるような、不完全ながらも自然に学ぼうとする古典的なスタイルがとられているようだ。

芸術的に見て価値があるのは、バチカン版ヴェルギリウス(英語版)として知られる、5世紀ごろのバチカンヴェルギリウス写本である。アンブロジアの断片よりも大きなサイズで描かれている上に保存状態もよく、よって手法や技術の検証がしやすくなっている。描写はきわめて古典的な様式であることから、バチカン版ヴェルギリウスのミニアチュールはそれ以前の写本からそのまま模写したものと思われる。着色の技法についてはよく分かっていない。というより、初期の写本のミニアチュールの色遣いはどれもほとんど同じなのである。異なるシーンをひとつのページに配置する方法はこれ以前の作者が考案したと思われるが、この技法はその後のミニアチュールの伝統に大きく影響した。描き方の特徴としては、まずページ全体に背景が書き込まれた後、あきらかに上書きする形で大きな人や物が描かれ、その上に小さいディテールが書き込まれている。(絵描きのアルゴリズム(en)。)また、遠近法的な効果を高めるため、人や物は水平線上に整列しており、線より上の物は下の物に比べて小さく描かれている。ヴィエナ・ディオスコリデス(英語版)(6世紀前半)より、七人の医者のミニアチュール

東ローマの画派では、自然のままの姿から離れて技術的な定型を使うのが当たり前になっていたが、初期の画派では古典の情趣が残っている例がある。コットン創世記(Cotton Genesis)の現存部分などがその好例で、ヴィエナ・ディオスコリデス(Vienna Dioscurides)のミニアチュールも証拠となっている。時代が下った東ローマの写本でも、前時代のものから複写されたものはモデルの複製によって写実的になっている。だが東ローマの時代のミニアチュールを古典作品と比較すれば、屋外から修道院にこもってしまったような印象を受ける。教会組織の制約のもと、ビザンティン美術は様式化していった。肌の色を浅黒く塗り、ズボンを細長く引き伸ばし、足運びを固定して描かれるようになった。褐色・くすんだ青とその中間色が好まれた。後にイタリアのミニアチュールの特色となる肌色の扱い方が最初に現れるのはこの時代である。すなわちオリーブ・緑その他の暗い色の上に肌色を塗りつける手法である。背景もまたきわめて慣習的になり、写実的な自然の姿は見られなくなり、中世のミニアチュールに大きな影響を与えた。

ビザンティン美術の中でミニアチュールの美的価値は大きかったが、華々しい色彩と豊富なの使用を特徴とするオリエントの壮麗な価値観も同時に現れた。このオリエント式のまばゆい金色の背景は、まずミニアチュールに取り入れられ、その後西方の美術学校の制作物にも取り入れられるようになった。


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