紫藤廬
各種表記
繁体字:紫藤廬
?音:Z?teng Lu
日本語漢音読み:しとうろ
英文:Wistaria House
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紫藤廬
中華民国 文化資産
等級直轄市定古蹟
文化資産登録
公告時期1997年7月23日
建設年代1920年代
詳細登録資料
紫藤廬(しとうろ)は、台湾の台北市大安区にある歴史的建造物である[1]。日本統治時代に建てられた、2階建ての日本式木造家屋である。建物の名前は、前庭にある3本の藤の木に因む。 1920年代に完成し、1945年まで台湾総督府の官僚の官舎として使用されていた。
歴史
1975年まで
尊徳性斎は、殷海光(英語版)、張仏泉、徐道隣、夏道平(中国語版)、李敖、陳鼓応(中国語版)などの知識人や文学者の集いの場となり、西洋の自由主義を台湾に紹介するために、ここで研究会が開催された[3][2]。 1975年、周徳偉は渡米し、尊徳性斎は息子の周瑜に引き継がれた。周瑜は美麗島運動
1975年から1990年まで
1981年に尊徳性斎は茶芸館に改装されて「紫藤廬」と命名された[3][4]。以来、展覧会や講演会、茶道教室、茶会などが開催されている[3]。
1983年9月、党外運動(英語版)雑誌10誌の代表者によって「党外編連会」(党外雑誌編集者連盟)が正式に設立され、当時の台北市議会議員の陳水扁、謝長廷、美麗島事件を弁護する江鵬堅弁護士らを招いて、紫藤廬で準備会が開かれ、定款案を承認した[6]。 1997年に台北市政府(英語版
1990年以降
その他
茶?(英語版)や?杯(英語版)は紫藤廬で初めて使われたものである[11]。
2003年6月13日、作家の龍應台は「在紫藤廬和Starbucks之間」(紫藤廬とスターバックスの間で)という記事を発表したが[12]、鄭宝娟(中国語版)が「紫藤廬は地域文化のトーテムとして、また第三世界の『外国の支配に抵抗』し、『グローバル化』という脅威の波に対抗するための精神的な要塞としても使用されている」と反論するなど[13]、論争を巻き起こした[14]。
1994年の台湾・アメリカ合作映画『恋人たちの食卓』のロケが行われた[15]。
ギャラリー
2階からの眺め
市定古蹟の案内板
東側の窓と屋根
名前の由来になった藤の木
藤棚
前庭の池
店内。ソファとテーブルの席。
店内。暖炉と畳敷きの席。
店内。