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素股(すまた)は大きく2種類の意味で使われている。
1)性器同士をこすり合わせる行為[1][2][3]。
この使われ方は古くは江戸時代から確認され、現在も多くの映像作品のタイトルやヘルス・イメクラの基本プレイの表記などで使用されている。
2)太腿・手で挟み圧迫・摩擦することで疑似挿入感を与えるセーファーセックスの性プレー。
この場合1)の行為は「マンズリ」と称して別のプレイとして扱い、手コキと呼ばれるプレイに非常に近い形になる。主に2020年以降に作成された風俗求人サイトで使用されている。ただし「マンズリ」という言葉は一般的に「女性のオナニー」という意味で使われることが多く[4]混乱をまねいている。
潤滑剤(ローション)を使う場合もある。風俗等の金銭を介した行為で「素股」を行う際には、事前に生殖器を擦り合わせる前者かセーファーセックスである後者か確認しないとトラブルとなる危険性がある[5][6][7]。
男性同士の陰茎を擦り合わせるのを兜合わせ、女性同士で生殖器を擦り合わせる行為はを貝合せと言い、これらはいずれも性器同士を直接擦り合わせることで性感を得る股間交接である。 現在では一般のカップル間でも行われる性プレーの一つではあるが、主に箱ヘルやデリヘル、ホテヘル、イメクラ、エステ (風俗店)と呼ばれる非本番系風俗店で、風俗嬢が男性客に行う擬似挿入行為である。 風俗店においては本来の性器同士をこすり合わせる素股のほか、直に性器を用いずに下腹部や太腿に密着させて疑似挿入感を与えたり、下腹部付近で手コキをさせる行為を素股と呼ぶ場合もある。風俗嬢側が男性器の先端を女性器に押し当てる行為を許してしまうと、どさくさに紛れて本番行為をしようとする客もいる[8]。 アダルトビデオなどの映像媒体でも素股は一般的であるが、その行為自体は男女が互いの性器を擦り付けることが前提となっている。 また、風俗店が客へプレイ内容を説明するための体験動画や体験マンガのなかでも、素股は性器同士をこすり合わせるプレイとして描かれている。[9][10][11] 前述のように直に性器を用いる性プレイであるが、一部の風俗店では性感染症の伝染や望まない妊娠などの可能性があるため、下着や水着越しであったり、コンドームやトリップスキンの着用を前提にしている場合もある。性器同士をこすり合わせるプレイができない風俗嬢は、初心者コース・育成コースなどと呼ばれる素股が基本プレイにない店に在籍させている。 性器同士が接触する素股は一部の成人女性はクリトリスへの刺激によってオーガズムに達することができ、多くの男性は圧迫と摩擦による疑似挿入感によって射精できる。 古代ギリシャ社会のパイデラスティアと呼ばれる少年愛の関係性において、素股は、精神的な指導相手を辱める行為と考えられていたアナルセックス[12]に代わって一般的に行われていた[13]。古代ギリシャ語ではディアメリゼイン(希:διαμηρ?ζειν, diam?rizein(「二量体化する」))と呼ばれていた[14]。 歴史学者のケネス・ドーバー
概説
歴史
同性間素股をおこなうゼピュロスとヒュアキントス:古代ギリシャの壺絵には素股が見られる。 ヒュアキントスの手はゼピュロスの腰に回されており、互いの性器を擦り合わせている様子が窺える。
近代の英語圏においては、男性が同性同士で行う素股は「プリンストン・ファーストイヤー」(Princeton First-Year)、「オックスフォード・スタイル」(Oxford Style)、「オックスフォード・ラブ」(Oxford Rub)、または「アイビー・リーグ ・ラブ」(Ivy League Rub)と呼ばれる、口語的には「フロット」(frot)とも言われる兜合わせであった[17][18]。これらの語彙は、「家を遠く離れた男子校で、長く寒い冬を過ごす盛りのついた若い青年たちの行動」、特に19世紀のそれを表している[18]。「機会的同性愛」も参照
同性間の素股は、バイセクシャルやゲイとして知られる、あるいはそうだったと考えられる歴史上の人物のうち、一部の彼らの性生活には欠かせないものだったと考えられている。伝記作家リチャード・エルマンによると、オスカー・ワイルドは彼の愛人であったロバート・ボールドウィン・ロスから素股を紹介されてからは、オーラルセックス以上に好んで行っていたようである[19]。アレクサンドロス大王について、キュニコス派の哲学者が述べたとされる話によれば、生前彼は寵愛するヘファイスティオンと頻繁に素股を行っていたらしい[20][12][注釈 1]。
歴史的に西欧において、素股はソドミー法や宗教的な制限を受けてきたが、そのほとんどがキリスト教の価値観に基づいて制定されたものだった[21]。