「素直になれなくて」
シカゴ の シングル
初出アルバム『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』
リリース1982年5月
録音1982年
ジャンルロック、AOR、アダルト・コンテンポラリ
時間5分08秒(アルバム・バージョン)
3分41秒(シングル・バージョン)
作詞・作曲ピーター・セテラ、デイヴィッド・フォスター
プロデュースデイヴィッド・フォスター
チャート最高順位
1位(アメリカ)/ 4位(イギリス)
年表
ソング・フォー・ユー
(1980年)素直になれなくて
(1982年)ラヴ・ミー・トゥモロウ
ミュージックビデオ
Chicago - Hard To Say I'm Sorry (Official Music Video) - ライノ・エンタテインメント公式YouTube
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「素直になれなくて」(Hard to Say I'm Sorry)は、アメリカのロックバンドであるシカゴが1982年に発表した楽曲で、代表曲のひとつ。バンドメンバーのピーター・セテラとプロデューサーのデイヴィッド・フォスターが制作した。同年、全米シングルチャートで2週間1位を記録した[1]。なお、アルバム『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』に収録されている。 シカゴは、1969年から1973年ごろまではブラス・ロックが中心のバンドだった。その後、1974年ごろからはアダルト・コンテンポラリー路線を歩み「遥かなる愛の夜明け」「渚に消えた恋」「愛ある別れ」「朝もやの二人」などのヒットを放った。しかし1978年ごろからヒットに見放され、この曲は久々の大ヒットとなったものである。当時商業的には全盛期を過ぎていたと考えられていたシカゴが、この曲で7年ぶりに全米シングルチャートで1位を記録した[1]。日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1982年11月1日付から5週連続1位を獲得した[2]。 アルバム・バージョンでは、「Get Away」という曲が同一トラック内で続いて収録されている。こちらの曲は、1970年代までのシカゴの音(ホーン・セッションを中心にしたスタイル)に近いものだった。しかし、アダルト・コンテンポラリ・ラジオ局は、「Get Away」をカットして流していた。なお、プロモーション・ビデオはギリシャで撮影されている。 この曲には、シカゴのバンドメンバーのみならず、セッション・ミュージシャンが参加している。ピアノはプロデューサーのデイヴィッド・フォスターで、アメリカのロックバンド・TOTOのメンバー3人(デヴィッド・ペイチとスティーヴ・ポーカロがキーボードで、スティーヴ・ルカサーがギターを演奏)も参加している[3]。 発表と同年の1982年には、映画『青い恋人たち チャート(1982年/1983年)最高位 先代
解説
チャート
アメリカ合衆国・ビルボード・ホット1001
アメリカ合衆国・ビルボード・アダルトコンテンポラリ1
カナダ・シングルチャート1
全英シングルチャート4
アイルランド・シングルチャート1
ドイツ・シングルチャート6
オーストリア・シングルチャート5
スイス・シングルチャート1
オランダ・トップ4022
イタリア・シングルチャート1
日本・オリコン洋楽シングルチャート1
ニュージーランド・シングルチャート13
アブラカダブラ
by スティーヴ・ミラー・バンドBillboard Hot 100 ナンバーワン・シングル
1982年9月11日 - 9月18日次代
ジャック&ダイアン
by ジョン・クーガー
カバー
1982年、スリー・ディグリーズがカバーしている。
1982年、西城秀樹がいち早く日本武道館でのコンサートでカバー(日本語訳)した。その歌唱は『HIDEKI RECITAL - 秋ドラマチック』 に収録されている。
同じく1982年、岩崎宏美も秋のリサイタルで日本語詞(山川啓介訳)で披露している。この模様は、「ROYAL BOX?スーパー・ライブ・コレクション」として2007年に復刻され、CD、DVD双方で収録されている。
バリー・マニロウも「素直になれなくて」をカバーしている。
1983年、レスリー・チャンが広東語歌詞で「難以再?對不起」というタイトルでアルバム『風繼續吹』に収録。
1991年、共作者のデイヴィッド・フォスター自身がインストゥルメンタル・アルバム『Rechordings』に自身のピアノをフィーチャーしたセルフカバーを収録。