この項目では、青森県弘前市の現行町名について説明しています。愛知県名古屋市西区の旧町名については「紙漉町 (名古屋市)」をご覧ください。
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紙漉町
紙漉町紙漉町の位置
北緯40度35分42.26秒 東経140度28分13.2秒 / 北緯40.5950722度 東経140.470333度 / 40.5950722; 140.470333
紙漉町(かみすきまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8221。2017年6月1日現在の人口は295人、世帯数は185世帯[1]。目次 土淵川沿い東側に位置し、当地の西側を弘南鉄道大鰐線が通り、弘高下駅・中央弘前駅間の中央弘前駅寄りである。北は吉野町、東は富田、南は桜林町・富士見町、西は新寺町に接する。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。 大字番・番地小学校中学校
1 地理
2 歴史
3 施設
3.1 湧水
3.2 教育
3.3 医療
3.4 公共
4 小・中学校の学区
5 交通
6 脚注
7 参考文献
地理
歴史
1677年(延宝5年) - 紙漉町として町割りされ、普光院(現:住吉町の住吉神社)の南の清水(湧水)付近に紙漉所がある(弘前惣御絵図)。「カミシキハダチ」とあり、紙漉職人の頭の他に9軒の町屋が見られるが、いずれも紙漉職人と思われる(弘前町方屋敷割)
1719年(享保4年)頃 - 紙漉所のほかに10軒の町屋が町内に見られ、翌年町内の南側が屋敷割りされた(町屋数円)。
1756年(宝暦6年) - 当地は楮町の支配下にあり、御用紙漉所のほかに、町屋25軒・預かり地1か所がある(楮町支配町屋鋪改大帳)。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により中津軽郡清水村の一部となる。
1928年(昭和3年)4月1日 - 弘前市に編入される。
昭和以降 - 当地には湧き水(地元では"シツコ"と呼ばれる)が多く、昭和以降、湧き水を利用して紙漉きのほか、茶を立てるのに珍重された。
1956年(昭和31年) - 一部が富士見町になる。
施設
湧水
富田の清水
教育
学校法人弘前文化学院文化幼稚園
医療
川崎歯科
公共
弘前郵便局弘前紙漉町局
土淵川紙漉町緑地
小・中学校の学区
紙漉町全域弘前市立大成小学校弘前市立第三中学校
交通
弘南バス
富士見町(ミニバス 城南経由 - 桜ヶ丘団地線)停留所。
弘南鉄道大鰐線
中央弘前駅
脚注” (日本語). ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。