純_(映画)
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監督
横山博人
脚本横山博人
出演者江藤潤
朝加真由美
中島ゆたか
榎本ちえ子
赤座美代子
音楽一柳慧
撮影高田昭
編集浦岡敬一
製作会社工藝舎
配給東映セントラルフィルム
公開1980年9月14日
上映時間88分
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『純』(じゅん)は、1978年製作[1]1980年に公開された日本映画[2][3]。主演・江藤潤朝加真由美[4]横山博人の監督デビュー作[5]

美人の恋人がいながら、電車の中で痴漢行為に耽る地方から上京した青年を通して、人とのふれあいが上手に出来ない若者の姿を描く[1][6]
あらすじ

長崎軍艦島から集団就職で上京した松岡純は、都心遊園地の修理工場で働きながら漫画家になりたいと秘かに勉強を続けた。同じ職場に木島洋子という恋人がいたが、手を握ることさえできない。しかし純には洋子に知らないもう一つの貌があった。純は通勤電車で大胆にも痴漢行為を続ける常習犯だった。ある日、痴漢の現場を洋子に見られてしまった[3]
スタッフ

監督:
横山博人

脚本:横山博人

製作:手嶋茂喜

プロデューサー:中島貞夫・呉徳寿・松本廣

撮影:高田昭

音楽:一柳慧

録音:本田孜

照明:山田和夫

編集:浦岡敬一

キャスト

松岡純:
江藤潤

木島洋子:朝加真由美

教師風の女:中島ゆたか

女子高校生:榎本ちえ子

子連れ女:赤座美代子

OL:山内恵美子

はぐれ鳥:田島令子

グラマラスな女:橘麻紀

黒ブーツの女:花柳幻舟

三十前後の女:原良子

長崎の女:江波杏子

役人風の男:小松方正

刑事:深江章喜

村田一郎:大滝秀治

傘の柄の男:安部徹

三十前後の男:小坂一也

郵便屋:小鹿番

駅員:今井健二

洋子の同僚:森あき子

映画館の男:田中小実昌

警察署長:羽仁五郎

製作
企画(1973年)

キネマ旬報』1970年12月上旬号で倉本聰オリジナル・シナリオ『純』を発表[7][8][9]。倉本と『キネマ旬報』編集長・白井佳夫を中心に[9]黒井和男らが参加して「映画『純』を製作する会」が結成され[10]萩原健一主演・藤田敏八監督・長谷川和彦助監督の枠組みで製作準備が進み[9][11]、1973年1月に日活で萩原健一主演・藤田敏八監督で製作が決定したと報じられた[7][11][12]。日活は当時ロマンポルノに移行していたが、藤田はロマンポルノの『エロスは甘き香り』を1973年1月に撮影後、一般映画の青春映画として1973年2月下旬から『純』を撮影する予定にしていた[7]。日活はロマンポルノ移行後も、盆正月などに時折一般映画を製作することが決まっており、本作の興行を東宝に頼み、海外ロケ映画『陽は沈み陽は昇る』との併映で、1973年のゴールデンウィーク作品として準備していた[13]。萩原・藤田とも撮影のためスケジュールを空け[10]、長谷川がロケハンまでやったが[9]、2月クランクイン予定の3日前に日活の内部事情(詳細は不明)で[9]、3月に製作延期になり[10]、そのまま製作中止になった[9]。萩原は後に「『純』はやりたかったです」と話していた[14]。白井佳夫の考えていた内容は、ロベール・ブレッソン監督の『スリ』のような具体的手口を追い続けるタッチの痴漢映画であった[11]
製作(1978年)

東映東京撮影所(以下、東映東京)の契約助監督として四年間、石井輝男伊藤俊也監督らに就いた横山博人[15]サードの助監督から抜け出せず[16]、1977年に福岡の中学時代の同級生からお金を借りて映画の製作を決意し[5]、同年夏に東映を退社[5][17]。自身の弟の会社・工藝舎名義で、かねてから製作を望んでいた『純』の映画化を決め[5][18]、自身で「俺はプロの監督」という思いから、最初から35mmの劇場用映画での製作を決めた[19]。製作費は当時の自主映画では破格の4000万円[19][20][21][注 1]
脚本

倉本聰の親友・中島貞夫に倉本を紹介してもらい[5]、白井と倉本は脚本を贈呈する形をとり[9]、倉本の了解を得て倉本脚本をベースに横山が一人でシナリオを書いた[19][23][24]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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