純ちゃんの応援歌
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純ちゃんの応援歌
ジャンルテレビドラマ
布勢博一
演出佐藤幹夫
小松隆
広川昭
佐藤峰世
出演者山口智子
川津祐介
伊藤榮子
高嶋政宏
松本友里
西川弘志
唐沢寿明
藤山直美
浜村純
細川俊之
笑福亭鶴瓶
白川由美
桂枝雀
ナレーター杉浦直樹
音楽朝川朋之
時代設定昭和22年 - 昭和37年
製作
制作NHK大阪

放送
放送国・地域 日本
放送期間1988年10月3日 - 1989年4月1日
放送時間月曜 - 土曜 8:15 - 8:30
放送枠連続テレビ小説
放送分15分
回数151

番組年表
前作ノンちゃんの夢
次作青春家族
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『純ちゃんの応援歌』(じゅんちゃんのおうえんか)は、1988年昭和63年)10月3日から1989年平成元年)4月1日まで放送されたNHK連続テレビ小説第41作である[1]。全151話[1]
概要

主演の山口智子は本作がドラマ初出演にして初主演となる[1]

主な舞台県は和歌山県大阪府兵庫県で、野球の大好きな主人公が「高校球児の母」と呼ばれるまでの半生を描く[2]

1988年から1989年の平均視聴率38.6%、最高視聴率44.0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[3]

2006年に完全版DVDが発売された[4]

2024年5月現在、NHKオンデマンドで新規動画として配信中[5]
ストーリー

1947年(昭和22年)8月。純子たち小野家は疎開先の和歌山県美山村で父の復員を待ちわびていた。村の運動会の日、GHQから来たと名乗る男2人、ジョージ北川と速水秀平がやってきて、地元の興園寺林業の土地を借りようとしてきた。しかし北川は詐欺師とわかり、純子の説得によって改心し、美山村を去る。その後、村にやってきた本物のGHQが野球道具を支給し、子供たちは野球に熱中する。残った秀平は、興園寺家で働くが母国アメリカへ帰国するという。

父・陽一郎が満州から帰国する。彼は母に捨てられたという少年・雄太も連れていた。純子の弟・昭は同い年の雄太に戸惑うが、野球を通じて仲良くなる。一家は雄太を養子にしようという考えを持つようになる。しかし、大阪に就職の決まった陽一郎は心臓病で倒れ、あっけなく息を引き取ってしまった。小野家は雄太と正式に養子縁組し、新たなる道を求めて大阪へと移る。

1948年(昭和23年)3月、小野家は大阪阿倍野で商店を営む寺内ぬひ家に身を寄せる。昭と雄太は中学に入学し、妹の恭子は宝塚音楽学校に合格する。翌年、ぬひは店を改装し「純ちゃん食堂」を開店。純子も店で働く。

1953年(昭和28年)6月、昭と雄太は高校3年生の野球少年。「純ちゃん食堂」は看板娘の純子の働きで繁盛していた。速水秀平が雑誌カメラマンとして再来日。紆余曲折の末、純子は秀平のプロポーズを受け入れる。

1954年(昭和29年)4月、高校を卒業した昭は大学に進学。雄太は就職し、働きながら夜間大学に通う。恭子は宝塚を退団しジャズの道に進む。純子は秀平と結婚。秀平は遠縁の清原欽一郎を引き取り、3人で新しい生活を始める。恭子は上京したスティーブ西川を追って家出したが、純子と昭のはからいで母親のあきと和解し、結婚することになる。その矢先、昭が明石の海岸で溺死する。興園寺正太夫が興園寺林業の抵当に入っている西宮の旅館経営の話を純子に持ち込む。純子は悲しみから立ち直れないあきのため、阿倍野を離れて旅館の経営を決意する。

1955年(昭和30年)2月、純子は旅館「浜風荘」の女将となるが、古株の従業員たちとの軋轢に悩む。3月、春の選抜高校野球に出場する高校野球部の宿泊を受けるが、直前になって従業員たちが一斉退職。純子は家族や友人たちの助けを借りて、高校生たちをもてなす。夏の高校野球でも野球部一校を受け入れ、お盆の送り火の日、純子の妊娠が判明する。

1958年(昭和33年)4月、純子が女将になって3年、長女の陽子は2歳。雄太は大学を卒業し念願の高校教師になる。純子は手のかかる陽子を育てるため、家を買い人を雇うことを考えるが、仲居頭に採用した女性が盗難事件を起こしたため、今まで通り家族経営でやっていくことになる。

1962年(昭和37年)、広島から今津春雄が押し掛け、秀平に助手にしてほしいと懇願する。秀平は連絡なしに出張することが増え、純子とすれ違いがちになる。秀平と海水浴に言った陽子がはしかになると、純子はこれまでの不満を爆発させ、家出騒動を起こすが、反省して秀平と和解する。

1963年(昭和38年)、雄太は同級生だった立花小百合がお見合いすると聞き、自分の気持ちに気付く。悩んだ末、雄太は小百合に告白し、二人は結婚することになった。北川の紹介で秀平の写真集がアメリカで出版されることになり、秀平は渡米することになる。恭子はドイツに移住した西川に呼ばれドイツ行きを決意。純子は浜風荘に宿泊した日本海高校の生徒たちから「お母ちゃん」と呼ばれ、試合を見に来るよう誘われる。純子は周囲の人たち全てを応援する「お母ちゃん」として初めて甲子園に走る。
キャスト
速水家
小野純子(おの じゅんこ) → 速水純子(はやみ じゅんこ)〈18 → 20 → 24〉
演 -
山口智子[6][7][8]主人公。兄弟思いで面倒見が良く、心優しいが、頑固で気の強い面もあり、そのことを母親のあきにとがめられることもある。過去には看護婦女医女弁護士になりたいと思っていた。1947年(昭和22年)6月、村の運動会の途中で北川と共に来日した速水秀平と出会う。大原から聞いた事実をあきたちに話せずにいたが、久助から陽一郎のグローブを渡されて励まされたのをきっかけに、あきたちに話す。北川に、つやを騙すのをやめて村から出るよう説得する。父の死後、大阪に移り食堂で働く。ラジオ番組「尋ね人の時間」で雄太のおば「林千代」が雄太を探していることを知り、意を決して「喜春旅館」に「林千代」を訪ね、彼女の正体が雄太の実母・昌代であることを知る。昌代の弁解を聞くとともに、一目でいいから雄太に会いたい、と頼まれ、雄太と昌代が対面した後も、昌代とは手紙で連絡を取りあっていた。1953年、熱を出した劇団「かもめ座」の女優の代役で突然、劇に出演することになる。欽一郎と澄を救出に行く道中、秀平からプロポーズされる。昭和29年(1954年)に結婚し、同年4月26日に披露宴をあげる。弟の昭の死後、一家で西宮に移る。1955年(昭和30年)、有馬温泉で2か月修行したのち旅館「浜風荘」の女将として働きだす。従業員の一斉退職というアクシデントを乗り越え、高校球児たちを宿泊客として迎える。夏の甲子園が終わったあと妊娠し、翌年、長女の陽子を出産する。最終話では、甲子園に出場した日本海高校を応援するために甲子園球場へと走る姿で物語をしめくくる。
速水秀平(はやみ しゅうへい)(トーマス・S・ハヤミ)
演 - 嶋政宏[7][8]カリフォルニア州サクラメント出身の日系アメリカ人。1927年(昭和2年)生まれ。カメラマンを目指している。戦後和歌山県内の「眠り谷」という土地にある祖父の墓を探し、父の遺髪を収めるために美山村にジョージ北川(後述)と共にやって来た。マンザナール収容所時代に野球を覚え、進駐軍と村人との試合ではホームランを放つ。法律家・清原欽一郎とは遠縁にあたる。北川が詐欺師であることを純子に告げ、つやに北川との契約を断ってもらうよう頼む。北川が興園寺林業を去った後、北川が詐欺師であり、自分が詐欺に加担しようとしていたことを話す。興園寺林業で数日間働いたあと、祖父の墓を探すため、静尾が見つけた地域へと旅立つ。しかし結局祖父の墓は見つからず駅にいたところを偶然、小野家から逃げ出した雄太のハーモニカの音を聞き、彼と出会う。つやの紹介で興園寺林業の製作所で働くことになる。その後、「巡り田」という場所で墓が見つかり、静尾の付き添いで父の遺髪を納めに行く。北川が興園寺家に帰って来た数日後、アメリカへ帰って行く。フランシスコ・シールス軍の通訳として再び来日する。1953年に日本へ来た時には、夢を叶えてカメラマンになっている。純子を驚かせようと美山村に向かうが、豪雨で車ごと流されてしまうが、奇跡的に助かり、村人たちの救助に協力する。欽一郎と澄を救出に行く道中、土砂崩れが起こりそうな崖を登りながら、純子にプロポーズする。大阪に戻った純子と婚約するが、妻を亡くした欽一郎が親戚の蔵に住まわされていると知ると彼を大阪に引き取り、純子と結婚し、同時期に空いた向かいの家を借りて3人で同居生活を送る。純子が女将になってからはカメラマンの仕事をしながら旅館を手伝っている。苦労して育った混血児の写真集を出版するため奔走する。広島から出てきた今津春雄に困惑していたが、正太夫倶楽部に落ち着いてからはほぼ無給の助手として雇う。1963年夏、自身の写真集がアメリカで出版されることになったため、北川と共に渡米する。
速水陽子(はやみ ようこ)〈2 → 6〉
演 - 尾後あすか[9](2歳時:村上沙織[10])純子と秀平の娘。名前の「陽」は純子の父・陽一郎からとられた。物怖じせず外遊びが好きで、純子を悩ませる。1963年春に小学校に入学。欽一郎によると澄が好きだった歌は「君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ」(万葉集・15.3580)。嫌いな歌として「妻をめとらば才たけて みめ美わしく情けある 友をえらばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱」(与謝野鉄幹『人を恋うる歌』)であったという。
小野家
小野陽一郎(おの よういちろう)
演 -
川津祐介[7]純子の父。穏やかな性格。上町中学(旧制中学校)時代には幼なじみの久助とバッテリーを組んでいて、1918年(大正7年)大阪地区予選大会で優勝し全国大会に出場が決定していたが、米騒動で大会が中止になってしまった。戦後は満州で会った雄太(後述)を連れて中国大陸から帰国(右腕に手榴弾の破片が入っており、以前のような投球ができなくなった)。体調が悪くなったことで東和生命での就職を断ろうと手紙を書いたが、純子が専務の稲本に頼み込んだことで、就職するチャンスを得る。しかし、他にも就職を希望している人はたくさんいるうえに、稲本の責任問題にもなりかねないと言って、再び就職を断る電報をあきに送るよう頼む。1947年の末、満州にいころの知り合いが副社長であることから、大阪の三立造船という会社での就職が決まる。その矢先、あきと恭子が大阪に行っているときに再び体調を崩す。1948年2月23日、就職を記念して興園寺家で祝宴をしていた最中にみたび倒れ、そのまま心臓麻痺で亡くなる。朦朧とした意識で発した最期の言葉は「ナイスプレー」だった。
小野あき(おの あき)
演 - 伊藤榮子[7][8]純子の母。8月21日生まれ。芯が強い。裁縫が得意である。20歳の時に陽一郎と結婚。美山村では美山小学校の事務員として働いていた。雄太が小野家の養子となることが決まった帰りのバスで、大阪へ引っ越そうと決意する。大阪では洋裁で家計を支える。実子の昭と養子の雄太を平等に扱うよう気を使っている。家出した恭子には無視をつらぬいていたが、のちに和解する。息子の昭を亡くし、さらにデパートから請け負っていた仕立ての仕事を縫製工場に奪われ、立ち直れなくなっていた。一家で西宮に移ってからは純子とともに浜風荘で働く。
小野恭子(おの きょうこ)〈21〉
演 - 松本友里[8]純子の妹。淡島千景久慈あさみに憧れ、宝塚歌劇団を目指している。大阪で、宝塚歌劇団の公演を観ると共に、のど自慢に申し込み、「港が見える丘」を歌い、予選に合格する。宝塚歌劇団の1次試験に合格したものの、2次試験で他の受験生と自分の差を見せつけられ、自信をなくすが、無事に合格し、「美山はるか」という芸名で活動を始める。その後は、寮で暮らすも、なかなか大役を任せてもらえず、落ち込む。1954年4月に退団し、ジャズ歌手としてキャバレーで歌うようになる。スティーブ西川への恋心に気付き、上京する彼を追って家出。純子と昭があきを誕生日に連れ出した温泉旅館に西川とあらわれ、結婚を宣言して和解する。1963年春、先に移住していた西川に電報で懇願され、西ドイツ行きを決める。
小野昭(おの あきら)
演 - 西川弘志[11](幼少期:岩芝公治[8])純子の弟。やんちゃな性格で、トラブルを作ることもしばしば。1948年(昭和23年)4月、雄太と共に中学校に入学し、新聞配達の仕事を始める。野球部でのポジションはキャッチャー。「純ちゃん食堂」の開店当日、レギュラーになることが決定する。1953年には上町高校3年生となっている。春にはレギュラーだったものの、夏の大会を目前に控えていたところでレギュラーから外されたために、雄太と確執が生じることになる。高校野球夏の大会地区予選4回戦にて、ピンチヒッターとして出場するが、試合は、2対3のサヨナラ負けを喫する。高校卒業後は浪南大学経済学部に進学。高校教師となって教え子を甲子園へ連れて行くことを夢見ていた。野球部でレギュラーの座を勝ち取るも、その直後の1954年9月の合宿で明石の海岸をランニングしていたときに転覆したボートに遭遇、海に投げ出された中学生を助けて溺死する。
林雄太(はやし ゆうた) → 小野雄太(おの ゆうた)
演 - 唐沢寿明[12][7](幼少期:高岡俊広[13])満州で両親とはぐれ、そこで出会った陽一郎と1年10ヶ月行動を共にし、彼に連れられて中国大陸から帰国、美山村にやって来て、小野家の世話になる。養子にもらってもらおうと、純子と共に河北家へ行くが断られ、小野家の養子となる。同年の夏休み明けより、昭や金太郎と同じ小学生に通い始める。やがてあきのことを「お母ちゃん」と呼ぶようになる。1948年(昭和23年)3月、正式に小野家の養子となり、純子とは義姉弟になる。同年4月、昭と共に中学校に入学し、新聞配達の仕事を始める。野球部でのポジションはピッチャー。自らの技術不足に悩むも、「純ちゃん食堂」の開店当日、レギュラーになることが決定する。1953年には上町高校3年生となっており、レギュラーである。高校卒業後は純子たちの反対を押し切り木下精密工業に就職。同時に大淀工業大学という夜間大学に入学し、自分の稼ぎだけで学費を賄う。昭の死後は昭が志望していた高校教師と野球部のコーチを目指す。大学を卒業し、1958年に兵庫県の工業高校機械科の教員となる。1962年、神東工業高校野球部を監督として率いて県大会予選を4回戦まで進んで敗退した。密かに小百合に好意を寄せていたが、昭も彼女を好きだったことから、昭の死後も彼のことを好きでいるのではないかと思い苦悩していた。1963年春、彼女の本当の気持ちを知り、結婚を決意する。
美山村
興園寺家・興園寺林業
興園寺つや(こうえんじ つや)
演 -
白川由美[7][8]久助の姉。興園寺林業の主。純子の成長や活躍を暖かく見守る。北川と秀平がGHQの者だと告げられるなり、秀平に森での仕事を手伝わせる。純子を正太夫の妻にしようとしていたことを純子に詫びる。北川に頼んで、正太夫をアメリカへと誘う手紙を書いてもらう。アメリカに帰国した北川とは手紙のやり取りを続けている。結婚する純子にウェディングドレスを贈った。北川が詐欺事件に巻き込まれて裁判沙汰になっているとの手紙を読むと渡米。トラブル解決後の1年後に北川と再婚し、世界を巡る。二人で帰国して女将になった純子と再会。その後美山村に戻り、東京の北川とは別居婚となる。
興園寺正太夫
#大阪の住人」を参照。
興園寺清彦(こうえんじ きよひこ)
演 - 生瀬勝久[8]つやの次男。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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