紋章
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ウィリアム・シェイクスピアの紋章。カンティング・アームズ (en)(紋章保持者の名前などに掛けた洒落を紋章にしたもの)の代表例のひとつ

紋章(もんしょう、: Coat of Arms)とは、個人および家系を始めとして、公的機関組合ギルド)、軍隊の部隊などの組織および団体などを識別し、特定する意匠又は図案である。ここでは、主にヨーロッパを発祥とする紋章について述べる。
定義全身を紋章で飾った騎士詩人ハルトマン・フォン・アウエ (Hartmann von Aue) [1]マネッセ写本より。

紋章の定義には諸説あるが、概ね紋章が持つべき最低限の要件は、個人を識別できるよう全く同じ図案の紋章が2つ以上あってはならないことと、代々継承された実績を持つ世襲的なものであることの2点である[2]。厳密な意味では、紋章と呼べる要件を満たしているものはヨーロッパと日本にしか存在しない[3]。それ以外のものは、いずれも「しるし」と訳される「エンブレム」や「インシグニア」と呼ばれて区別されるが、しばしば紋章と混同される。

紋章のうちヨーロッパを発祥とする西洋の紋章には、紋様が描かれた盾(エスカッシャン)を中心として様々なアクセサリーが加えられているものも多く、これらの外部要素を含めた全体を紋章と呼ぶこともある。しかし、サポーターを始めとするアクセサリーは紋章発祥から相当な期間が経過した後になってから追加されるようになったもので、厳密には紋章(コート・オブ・アームズ)とは盾のことだけを指す[4]。紋章を意味するコート・オブ・アームズの語に武器を意味するアームズ (Arms) という言葉が含まれていることからも、紋章とは元々戦闘用の盾であったことが窺える[4]。また、その盾の紋様がサーコート (Surcoat) と呼ばれる陣羽織やタバード (Tabard) と呼ばれる上着、乗馬の外被 (Caparison) にも描かれたことからコート (Coat) という言葉が含まれるようになった[3]。他にも紋章は、印璽(シール)、墓像に使われる他、屋敷家具食器などの調度品に付けることが広く行われた。

全く同じ図案の紋章が2つ以上あってはならないのは冒頭で述べた通りであるが、それは同時期の同一主権領内に限ったことであり、先代の当主が死去して長男に紋章が相続される際には新たな当主は先代のものとまったく同じ紋章を用いる。また、国王や領主などの主権が及ぶ範囲を越える場合は同一の紋章が存在してもよく、実際に複数の国にまたがって同じ紋章が存在する例は多数ある[5]

個人および家系を表すものは、分家や縁組などで変化していくことがあるが、ある代で突然まったく別の紋章に置き換えられたり、兄弟でまったく異なる紋章が用いられたりすることはなく、男子女子を問わず、庶子を含むすべての子孫に先代の図案が継承されていく。これが紋章が継承された実績であり、一代限りで使われなくなったものや、初代が用いた「しるし」が二代か三代にわたって用いられず、その後また一代だけ用いられたようなものは紋章とは呼ばれない[5]。都市や学校、その他の機関、団体、組織の紋章は代替わりすることがなく、継承の実績はないように見えるが、変更しない限り永続的に用いられるものであるため、紋章と見なされている。なお、王国や帝国の国章の場合は君主個人の紋章がそのまま用いられるため、時代によって変化することがある。
歴史1080年から1100年頃に描かれたバイユーのタペストリーの一部。馬にまたがった騎士が「しるし」を描いた盾を持っている。.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}エドワード黒太子の墓像と紋章。

紋章の起源には数世紀にわたって多くの説が唱えられてきた。その中で長らく支持されてきたものに、古代ギリシア古代ローマで用いられた軍事用や家系のしるしを直接の起源とする説や、紀元1000年以前のゲルマン=スカンジナビアの抽象体系が紋章の成立に強い影響を与えたとする説、第1回十字軍で西欧人が中東に遠征した際に、イスラム世界の習慣を参考にしたとする東方起源説があった[6]。他にも多数あったが、多くは16世紀末には否定され、支持されて残った説も紋章学者たちの研究によって19世紀末から20世紀初頭に否定されていった[6]。現在では、ヨーロッパの各地で一種の社会現象として次々に発祥し、戦場において顎まで及ぶ鎖帷子で顔を隠した個人を識別する“しるし”として、に紋様を描いたことが起源とされる。

全ヨーロッパで最古の紋章は、1010年に記録が残っているドイツ貴族のものであるとする説があり、紋章記述を意味するブレイゾン (Blazon) がドイツ語で「ホルンを吹き鳴らす」を意味するブラーゾン (blason) を語源とし、フランス語で「紋章学あるいは紋章」を意味するブラゾーン (Blason) を経由して英語に取り入れられたことは、ドイツの紋章が最も古い歴史を持つということを証明しうる手がかりとなる[7]

銘々に個人で好きな紋様を描いた盾が先に述べた2つの要件を満たした紋章となるのは、11世紀又は遅くとも12世紀中頃、あるいは11世紀から12世紀までの150年程度の間の時代とされている[7]

当初、紋章は王侯が用いるものであったが、後に高位の貴族が用いるようになり、13世紀中頃までに更に下位の貴族や騎士も用いるようになった。後に、紋章の使用は市民階級でもより上流の紳士にも範囲を広げ、いくつかの国では商人や一般市民、農民階級にまでも広がった[8]。都市や騎士団などの団体も同様の形式のものを紋章として採用するようになった。また、ヨーロッパの国々のみならず、その植民地だった国にも西欧人によって持ち込まれて国章などに広く使用されている。

結果的に、紋章を持ちたい者は誰でも新たに自分の紋章を創作すれば持つことができたが、領主以外の個人の紋章は大抵、領主の紋章を基本にして各個人の変化を加えたものであった[8]。しかし、好きに創作できるということは、紋章の原則に反して重複した紋章を多数生み出すことにもなり、誰が最も歴史ある紋章使用者であるか、つまり誰が唯一の紋章使用者であるかについて争議が起こることもあった。このような紋章の重複を見つけるために、1132年には現れていた紋章官が、ある特定の区域内に存在する紋章の調査や収集を遅くとも14世紀から始めていたことが判明している[8]神聖ローマ帝国では法学者バルトールスが紋章法(英語版)を法体系化し権利保護も行われた。

その後、イギリスの紋章院1484年創設)のような全ての章紋章を管理する公的機関が創設された。

このように、紋章が全ヨーロッパに急速に普及した特筆すべき理由に、1096年から1270年にかけて8回(1271年から1272年のものを1回に数えれば9回)に渡って実施された十字軍の遠征がまず挙げられ、第2回十字軍の頃には定着していた[6]。また、12世紀頃には大変人気のあった[8]馬上槍試合(トーナメント)という催し物で個人を明確に識別するために必要とされたことが挙げられる[9]
作成・描画北アイルランドロンドンデリーの紋章。岩に腰掛けている骸骨は、比較的実物に忠実に描かれている。

紋章は、長い年月に徐々に体系化された紋章学と呼ばれる一定の規則や慣例に従って作成され、図案を表現するものではあるが幾何学的な定義よりも、もっぱら紋章記述(ブレイゾン)と呼ばれる簡潔な隠語で書かれて定義されている。戦闘用の盾を含め、何らかの媒体に描かれた紋章が失われてしまっていたとしても、紋章記述さえ残っていれば紋章の図案を復元することができる。

西洋の紋章は幾何学的に正確であることよりも認識性を重視するため、数や方向などの紋章記述の内容や、指示されていなくても守るべきと定められた暗黙の規則や慣例に反しない範囲で紋章を描く際の解釈や描画方法にはかなり自由度がある[10]。つまり、紋章にある図形、主に具象的な対象を表現しているコモン・チャージを描く場合に、紋章記述の解釈の仕方や暗黙の規則について理解している必要はあるが、それを簡略化した幾何学的なデザインで描いたとしても、写真のように写実的なデザインで描いたとしても、それと間違いなく認識できればどのように描いても良いということである。


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