べにたに けんいち
紅谷 愃一
本名同
生年月日 (1931-06-07) 1931年6月7日(88歳)
出生地 日本 京都府京都市
職業録音技師
ジャンル映画
活動期間1949年 -
活動内容1949年 大映京都撮影所入社
1954年 日活撮影所入社
1980年 退社
受賞
日本アカデミー賞
1981年 第4回 最優秀録音賞
『復活の日』
1983年 第6回 最優秀録音賞
『海峡』『セーラー服と機関銃』
1984年 第7回 最優秀録音賞
『楢山節考』
1992年 第15回 最優秀録音賞
『八月の狂詩曲』
2000年 第23回 最優秀録音賞
『鉄道員』
日本アカデミー賞の優秀録音賞(ノーミネート)以上は『鉄道員』で16回。
その他の賞
1968年 第23回毎日映画コンクール
『黒部の太陽』
1980年 第35回毎日映画コンクール
『復活の日』
1983年 第38回毎日映画コンクール
『楢山節考』
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紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日[1] - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会代表理事。 1931年(昭和6年)6月7日、京都府京都市中京区で、代々「近江屋藤兵衛」の屋号で染物屋を営む家の5人きょうだいの末っ子として出生[2]。1944年、旧制中学の京都市立第一工業学校電気科に入学。1948年の学制改革で京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)となる。同級生には大島渚がいた[3]。1949年3月に卒業し、電気工事のアルバイトをして就職浪人しているときに級友の紹介で大映京都撮影所に臨時雇用され、同撮影所の録音課に配属された[4]。1951年、吉村公三郎監督の『源氏物語』の撮影終了後に正社員となる[5]。 1954年5月、大映の先輩で日活に移籍することになった橋本文雄に志願して、自らも日活撮影所へ移籍した[1][6]。録音技師の神谷正和に録音チーフ助手としてつき師事した[7]。1965年、牛原陽一監督の『三匹の野良犬
目次
1 来歴
2 おもなフィルモグラフィ
2.1 劇場映画
2.2 テレビドラマ
3 受賞
4 参考書籍
5 註
6 外部リンク
来歴
1980年、『復活の日』の撮影を最後に日活との専属契約をやめて、以後、フリーランスとして活動[10]。
日本の録音技師の職能団体「日本映画・テレビ録音協会」の代表理事を務める。
2009年10月から『東京新聞』『中日新聞』に回顧録を58回連載。加筆して2011年に初の著書『日本映画のサウンドデザイン』を出版した[11]。
2010年には旭日小綬章を受勲した[12]。
おもなフィルモグラフィ
劇場映画
『三匹の野良犬』 : 監督牛原陽一、1965年
『人類学入門