紅白音楽試合
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紅白音楽試合
ジャンル大型
音楽番組
放送方式生放送
放送期間1945年12月31日
放送時間1945年12月31日 22時30分 - 0時00分[1]
放送局NHKラジオ第1
制作社団法人日本放送協会
出演水の江滝子
古川ロッパ
田辺正晴(NHKアナウンサー
ディレクター近藤積
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『紅白音楽試合』(こうはくおんがくじあい)は、第二次世界大戦終戦直後の1945年(昭和20年)12月31日社団法人日本放送協会(現在のNHKの前身)でラジオ生放送された対抗形式の大型音楽番組である。『NHK紅白歌合戦』の前身番組だが、第70回2019年)までのそれとは異なり非公開番組であった[2][注釈 1]目次

1 企画・制作

2 放送の実際

3 司会者

4 出場者

5 後の番組への影響

6 参考文献

7 脚注

8 外部リンク

企画・制作

ディレクターの近藤積曰く「終戦間もない時期だったため番組制作も大変で、公開放送に踏み切る余裕もなかった」とのこと[4]

番組は「新時代に相応しい音楽番組を作ろう」と考えた近藤の発案であった。近藤は剣道の紅白試合を念頭に置きつつ、「Speed, Sexuality, Sports」という娯楽の3要素を取り入れた番組を制作しようとした。

当初は『紅白音楽合戦』(こうはくおんがくがっせん)の番組名で放送する予定だった[5]が、翻訳担当者が「合戦」を"battle"と訳してしまい、GHQ(特にその中の一部局であるCIE)が、「敗戦国(または戦争放棄した国)がbattleとは何事じゃ」との判断を下し、仕方がなくbattleから「試合」という意味のmatchに変えたというものである[2]。音楽試合ということから歌以外の出場者も登場し木琴マンドリン尺八による曲を披露した(ただし、後身『NHK紅白歌合戦』でも楽器演奏者・グループの出場は可能である)。東京放送会館第1スタジオから放送された。
放送の実際

詳しい資料が現存しないため、歌唱順などは不明である。白組司会の古川ロッパの日記には「てんで成ってゐない。十時過ぎから十二時迄やらされて、そのドン尻に男軍の司会者僕、女軍のターキー(水の江瀧子)が一つ宛歌ふので、実にその間、ちょっとちょっと宛喋る馬鹿々々しさ……女の方は小夜葦原松原等々、男の方は藤原浪岡松平平岡等々十五人位宛出て、たゞ歌ふ、こんな並べ方ぢゃ、しようがあるまい。二時間近く、司会をして、すっかり草疲れしまった。」[6]と書かれている。このとき古川ロッパが歌った「お風呂の歌」は翌1946年(昭和21年)の正月映画東京五人男』の劇中で古川が歌った曲である[7]

川田正子が歌った「汽車ポッポ」は元は「兵隊さんの汽車」という戦時童謡であったが、近藤が作詞者・富原薫に依頼して「兵隊さん 兵隊さん 万々歳」を「鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな」にするなどの変更を加えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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