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紀里谷 和明
2015年、第28回東京国際映画祭にて
生年月日 (1968-04-20) 1968年4月20日(56歳)
出身地 日本・熊本県球磨郡あさぎり町(旧:免田町)
身長180 cm
血液型A型
職業映画監督
配偶者宇多田ヒカル(2002年 - 2007年)
事務所KIRIYA PICTURES
公式サイトkiriya.com
主な作品
映画
『CASSHERN』
『GOEMON』
『世界の終わりから』
海外映画
『ラスト・ナイツ』
受賞
高崎映画祭
若手監督グランプリ
2004年『CASSHERN』ポルト国際映画祭
最優秀作品賞
2023年『世界の終わりから』
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紀里谷 和明(きりや かずあき、1968年4月20日 - )は、日本の映画監督。KIRIYA PICTURES所属。熊本県球磨郡あさぎり町(旧免田町)出身[1]。 1968年、熊本県・宮崎県で手広くパチンコ店を経営する岩下兄弟社代表の父・岩下博明と、軍人の娘である母・道子の長男・和裕として生まれる[2]。免田町の小・中学校に進学した。 1983年、中学2年終了と同時に中退し[1]、単身アメリカのサンディエゴに向かう[2]。マサチューセッツ州にあるアートハイスクール、Cambridge School of Weston
略歴
1987年、パーソンズ美術大学(Parsons The New School for Design)環境デザイン科に進み建築を学ぶ[3]。
1989年、大学を2年で中退。学生時代当初はビジネスマンを目指していたが、英語が通じない時に自分が描いた絵を渡して喜ばれた経験からアートの世界を志向するようになった。21歳のときデザイン会社を設立するもうまくいかず、ヨーロッパやアフリカを放浪[2]。中退後の5年間は、自ら「暗黒の時代」と語っている[2]。
1994年、ニューヨーク在住時26歳のときに知り合いから頼まれた音楽雑誌『VIBE』用の作品をきっかけにカメラマンとしてデビュー[1]。ジェイ・Zなど多くのアーティストの写真を手掛けるようになる。以降、日本国内外でPV制作も数多く手掛ける[2]。CM、広告、雑誌のアートディレクションなど幅広く活躍。
2002年9月、ミュージック・ビデオ撮影を通じて知り合ったシンガーソングライターの宇多田ヒカルと結婚したが、2007年3月に離婚[4]。二人の間に子どもはいなかった。
2004年、子供のころ好きだった『新造人間キャシャーン』を映画化し、映画監督としてデビュー。2009年には2作目『GOEMON』を制作し、明智光秀役で俳優としても出演した。
2012年チェコで、クライヴ・オーウェン、モーガン・フリーマン出演の映画『ラスト・ナイツ』を撮影、2015年公開。
2020年8月6日、対話形式の自己啓発小説「地平線を追いかけて満員電車を降りてみた」(文響社)を出版。
2023年公開の『世界の終わりから』をもって映画監督を引退することを発表した[5][6]。 公開年作品名備考
人物
父親が経営するパチンコ店の工事現場を見ていた子供のころの経験が、大人数を取りまとめなくてはならない映画制作の現場に役立ったという。「パチンコ屋の息子でなかったら、今の自分はなかった」とも述べている[2]。
軍人だった祖父が太平洋戦争ののち自決したことを子供の頃に聞かされ[2]、冷戦・湾岸戦争下のアメリカで青春を過ごしていたことから監督作品の『CASSHERN』『GOEMON』にて「世界平和」をテーマにしている。小説『トラとカラスと絢子の夢』は、この祖父の実話をもとにしている[7]。
毛皮反対プロジェクトとして『毛皮製品の残酷な生産実態を伝える映像』を創作し公開する。「美しいものと、醜いものを合わせたものが毛皮…その生産現場は残酷。この違和感に忠実になってほしい」と語った。
3DCGプロダクションN-DESIGN(エヌ・デザイン)と合同で2004年に設立した3DCGスクール『Alchemy』では学長を務めた。
2009年、ミュージシャンのYOSHIKIと映画監督の岩井俊二と共にクリエイターのためのソーシャル・ネットワーキング・サービス「FREEWORLD」を開設。
2014年、月額課金制のメールマガジンPASSENGERを創刊。
2016年3月劇場公開、映画監督岩井俊二の作品「リップヴァンウィンクルの花嫁」に俳優として参加。
自給自足まではいかないが、アメリカの自宅では鶏を飼育したり、作物を育てる。雨水を濾過し飲料水に用いている。
作品
映画
2004年CASSHERN
2009年GOEMON明智光秀役として自身も出演
2015年ラスト・ナイツ[8][9]クライヴ・オーウェン、モーガン・フリーマン出演