紀州東照宮
唐門
所在地和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20
位置北緯34度11分33.4秒
東経135度9分56.4秒
紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現と紀州藩初代藩主徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀る。目次 元和7年(1621年)に徳川家康の十男である紀州藩祖・徳川頼宣により南海道の総鎮護として創建され、関西の日光とも称される。本殿は伝・左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵がある。 東照宮は、雑賀山に位置する。雑賀山は和歌浦湾の入り江を眼下に納め、右手には天橋立のような片男波の砂嘴が延び、左手には北岸をみるまさに「扇の要」の位置である。西には天満宮が、東には玉津嶋神社が位置する。元和5年紀州初代藩主として入国した徳川頼宣(1602?71)により、東照大権現を祀る東照社として建立された。頼宣の紀州入国とともに計画され、元和5年(1619)起工、元和6年(1620)に竣工・遷宮式が行われた。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであった。現在は頼宣も合祀している。かつての別当寺は天曜寺。 東照宮の例祭は、元和8年に趣向を凝らした絢爛豪華な風流(ふりゅう)の祭りとして創始されているが、江戸時代には、国中第一の大祭であった。諸国から多数の見物人がきたという。明治以降も和歌祭りと呼ばれて、大勢の観衆を集め、親しまれた。近年復興されている。 鬱蒼とした木々に囲まれた東照宮参道は青石が敷き詰められ、両側は低い石垣で区切られる。鍵の手で折れ曲がると、急勾配の108段の石段にたどり着く。参道と石段の両側には、家臣団が寄進した石灯籠が並ぶ。 高台の南端には、楼門が南面し、その両脇に東西廻廊が建つ。高さ約2mの石垣により一段高くなった社地北側には、唐門と瑞垣(みずがき)、その奥には正面に拝殿・石の間・本殿を一つの建物にまとめた権現造りの社殿が建つ。かつては社殿の右に三重塔、左に薬師堂があった。 社殿の建築様式は伝統的な和様を用い、様々な彫り物で飾る。内外部共に黒漆、赤漆を塗り、複雑な組物や彫刻類には極彩色を施し、鍍金の飾金具を施す。代表的な江戸時代初期の建造物である。この豪華な社殿により、俗に紀州の日光と称される。拝殿・石の間・本殿、唐門、東西瑞垣、楼門、東西回廊が重要文化財(建造物)に指定されている。また社蔵の平安時代から江戸時代の刀剣13振、南蛮胴具足、小袖3領が重要文化財(美術工芸品)に指定されている。 和歌浦は和歌山県の名勝・史跡、ならびに国の名勝に指定されている。
1 歴史
2 境内
3 祭神
4 文化財
4.1 重要文化財
5 祭礼
6 所在地
7 交通
8 周辺
9 関連項目
10 外部リンク
歴史
境内
祭神
徳川家康 - 東照大権現
徳川頼宣 - 南龍大神
文化財
重要文化財
建造物
本殿・石の間・拝殿 1棟
唐門
東西瑞垣 2棟
楼門
東西廻廊 2棟
美術工芸品
南蛮胴具足(徳川家康所用)
家康が頼宜に与えたといわる南蛮胴。胴鎧がやや細長く、椎形兜も頂きが高いといった造形の特徴から、フランドル製だと考えられる。胸当に弾痕が残り、向かって右の深い2つがマスケット銃で、左側のは日本の並の火縄銃によるものと見られる。
紺地宝尽小紋小袖、藍地花菱唐草文散絞小袖、白地葵紋綾小袖(徳川家康所用)
太刀 銘来国俊
太刀 銘信国
太刀 銘左近将監景依正応二十一月 日 附:絲巻太刀拵(いとまきたちごしらえ)
太刀 銘光忠 附:絲巻太刀拵
太刀 銘備前国(以下不明伝真長) 附:絲巻太刀拵
太刀 銘真長 附:絲巻太刀拵
太刀 銘守家 附:絲巻太刀拵
刀 銘元重
太刀 銘安綱 附:絲巻太刀拵
太刀 銘伯耆大原真守 附:絲巻太刀拵
太刀 銘国時
刀 銘信濃守藤原国広 越後守藤原国儔 造
刀 銘長曾袮興里入道虎徹
祭礼
5月第2日曜日 - 大祭(和歌祭)
所在地紀州東照宮 紀州東照宮の位置
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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