紀南麻呂
[Wikipedia|▼Menu]

 凡例紀 南麻呂
時代平安時代初期
生誕不明
死没不明
官位正五位下河内守
主君平城天皇嵯峨天皇
氏族紀氏
藤原大津
テンプレートを表示

紀 南麻呂(き の みなみまろ)は、平安時代初期の貴族左少弁紀勝雄の子。官位正五位下河内守
経歴

従五位下叙爵後、延暦25年(806年河内介に任ぜられる。

大同5年(810年薬子の変が発生すると南麻呂は民部少輔に任ぜられ、平城上皇に呼応して兵を挙げて越前介登美藤津を捕縛した前越前介・安倍清継と越前権少掾・百済王愛筌を糾問するために朝廷から越前国に派遣される。南麻呂による糾問の結果、清継と愛筌はともに罪を認め、それぞれ流罪に処された[1]

弘仁2年(811年)河内守として再び地方官に転じると、河内守在任中の弘仁3年(812年)従五位上、弘仁5年(814年正五位下嵯峨朝初頭に昇進している。
官歴

日本後紀』による。

時期不詳:従五位下

延暦25年(806年) 正月28日:河内介

大同5年(810年) 9月16日:民部少輔

弘仁2年(811年) 正月11日:河内守

弘仁3年(812年) 正月7日:従五位上

弘仁5年(814年) 2月21日:正五位下、見河内守

系譜

父:不詳

母:不詳

妻:不詳

女子:
藤原大津[2]


脚注^ 『日本後紀』弘仁元年9月17日条
^ 『尊卑分脈』

参考文献

森田悌『日本後紀』(上中巻)、講談社講談社学術文庫〉、2006年

宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:5044 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef