この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "紀元前8世紀"
千年紀:紀元前1千年紀
世紀:前9世紀 - 紀元前8世紀 - 前7世紀
「カピトリヌスの雌狼(英語版)(カピトリーノ美術館蔵)」。画像は牝狼の乳を飲むロームルスとレムスの銅像。ロームルスは都市国家ローマを紀元前753年に建国したと伝えられる初代王。「ディピュロンのアンフォラ(英語版)」。ギリシア陶器の幾何学様式後期を代表する名品で現在はアテネ国立考古学博物館が所蔵している。ホメロス。『イリアス』『オデュッセイア』をまとめたとされる盲目の吟遊詩人。画像はウィリアム・ブーグローによる歴史画「ホメロスと案内人」(ミルウォーキー美術館(英語版)蔵)。聖地オリンピア。もともとゼウス神が祀られていた神域で、紀元前8世紀からこの神に捧げられるオリンピアの競技が行われることになった。画像は紀元前740年頃に作製され競技に際し奉献されたラコニア様式の青銅製の馬の像(ルーヴル美術館蔵)。ウラルトゥ王国の繁栄と凋落。ウラルトゥの王サルドゥリ2世の時に勢力が最大となったが、隣国アッシリアに攻め込まれて衰退した。画像はウラルトゥの主神ハルディの像(アルメニア・エレバン・エレブニ要塞博物館蔵)。ドゥル・シャルキン。アッシリア王サルゴン2世の時代に造営された都で10年余ほど用いられた後、ニネヴェに改めて遷都され放棄された。保存状態は悪くなく多くの浮彫で飾られた宮殿の城壁が発掘されている。画像はサルゴン2世と家臣の浮彫(ルーヴル美術館蔵)。アッシリア支配下のフェニキア人。海上交易を保護されたフェニキア人はこの時代にも大きな足跡を残した。画像はドゥル・シャルキンにかつてあった浮き彫りで、船舶を用いて木材運搬に従事するフェニキア人たちが刻まれている(ルーヴル美術館蔵)。西周の滅亡。西周の幽王は極めて愚かで美女褒?に溺れて戯れに烽火を焚いて危急に駆け付けた諸侯を慰み者にしたと伝わる。この伝説的な話はともあれ、申侯の手引きにより遊牧民族犬戎が侵入し、都の鎬京が陥落したあげく幽王が殺害され、西周が滅亡したことは事実であろう。画像は『帝鑑圖?(中国語版)』幽王本紀の「戲舉烽火」の場面。
紀元前8世紀(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀。
出来事
紀元前800年代
紀元前800年頃
ギリシア各地でポリス(都市国家)の誕生。
人口の大幅な増加、英雄祭祀と聖域の成立、都市への集住(シュノイキスモス)などが随伴して見られる。
ギリシアの陶器は「幾何学様式」から「東方化様式(英語版)」に移行する。
ギリシア人による地中海および黒海沿岸での植民市(アポイキア)(英語版)建設が始まる。
エウボイア人によるシリア沿岸の植民市アル・ミナ(英語版)やナポリ湾イスキア島の植民市ピテクサイがこの時期のもの。
アナトリア半島キリキア地方のカラテペ遺跡から出土したフェニキア文字と象形文字ルウィ語の併用の石碑(カラテぺ二言語併用石碑(英語版))が作られる。
中央ヨーロッパは鉄器時代初期でハルシュタット文化(ハルシュタットC期)が広がる。
ハルシュタットは世界最古の塩坑があり、アルプス以北と地中海とを結ぶ「塩の道」の要衝となった。
ハルシュタット東方にはルサチア文化(ラウジッツ文化)があり、その代表は現ポーランドのビスクピン(英語版)遺跡である。
イベリア半島のグアダルキビル川下流域のタルテッソス王国が繁栄する。
「錫の国」と呼ばれた現在のイギリスのコーンウォール地方から錫を独占し、フェニキア人との交易も行われる。
セビリア近郊で発掘された「カランボロの財宝(英語版)」が代表とされる。
中央アメリカのオルメカ文明はラ・ベンタ期( - 紀元前400年頃)。
この時期を代表する翡翠輝石製の群像彫刻「会議をする人々(スペイン語版)(メキシコ国立人類学博物館蔵)」が作られる。
南アラビアにサバア王国が成立する。
都マアリブの近郊にはマアリブ・ダム(英語版)が造営され、アワム神殿(英語版)やバラン神殿(英語版)が建てらる。
イラン北西部ソルダス谷のテッペ・ハサンル遺跡(英語版)出土の「ハサンルの恋人たち」が埋葬される。
テッペ・ハサンル遺跡からは「ハサンルの黄金の盃(英語版)(イラン国立博物館蔵)」も出土している。
紀元前800-500年頃 - 古散文ウパニシャッド文献が成立する。
最古層の『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』が代表とされる。
紀元前780年代
紀元前789年 - 周の宣王が千畝の役(中国語版)で姜戎と戦うが敗退する。
紀元前786年 - ウラルトゥ王アルギシュティ1世が即位し、ウラルトゥの領土拡大が始まる。
紀元前780年 - 周で水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。
紀元前770年代
紀元前776年7月1日
記録に残る最古の古代オリンピック第1回大会がギリシアのオリンピアで開催される。
またギリシアにおいて最古の文字使用例が特定された年でもある。
紀元前776年9月6日
幽王六年十月朔日辛卯のこの年に日食が起こる(『詩経』「小雅・十月之交」)。
紀元前771年 - 申侯の乱で、鎬京が犬戎に攻められ西周の幽王が殺される。
幽王の子平王は鎬京を離れ洛邑に遷都し東周が成立(周の東遷)。
これより春秋時代が始まる。平王を擁立した秦の襄公が諸侯に列する。
紀元前760年代
紀元前763年6月15日
アッシリア王アッシュール・ダン3世が日食を記録した(アッシリアの日食)。
それを天文学的に割り出すと正確な日付が特定できたため、アッシリア年代学の基点となっている。
紀元前762年 - 秦の文公が?水と渭水の合流地点の秦邑に本拠を遷す。
紀元前760年頃
ユダ王国のウジヤ王の治世に大地震が起きたと、預言書『アモス書』に言及がある。
考古学者イガエル・ヤディンやイスラエル・フィンケルスタイン(英語版)はガリラヤ湖北部のハツォル遺跡(テル・ハツォル(英語版))第6層の倒壊した建造物等とこの地震の年代が符合すると論証している。
紀元前750年代
紀元前756年 - 洛邑の平王が鎬京の携王を倒し、周の王統は統一される。
紀元前753年 - カロプス(アルコン)(ドイツ語版)がアテナイのアルコンに就任し、これ以後アルコンの任期は10年となる。
紀元前753年4月21日
伝承によればロームルスがラテン人によるローマを建国(王政ローマ)。
この年がローマ建国紀元元年となり、ティベル川に面したローマの七つの丘が整備される。
紀元前753年頃
アッシュール・ニラリ5世が遠征によりアルパド王マティールを服属させる。
紀元前8世紀半ば
ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』が成立。
ギリシア陶器が幾何学様式後期になり人物表現が復活する。
逸名絵付師「ディピュロン・マスター(英語版)」の「ディピュロンのアンフォラ」(アテネ国立考古学博物館蔵)が有名。
クレタ島ドレロス(スペイン語版)のアポロン神殿から出土したアポロン・アルテミス・レトの青銅製三神像(Apollonian Triad AMH)が作成される(イラクリオン考古学博物館蔵)。
トルコ南部(キリキア)アダナ県で出土したルウィ語とフェニキア語の二言語併記のチネキョイ碑文(英語版)が作られる。
紀元前740年代
紀元前745年 - ティグラト・ピレセル3世がアッシリア王となる。軍制改革が行われ常備軍が導入される。
紀元前743年 - 第一次メッセニア戦争始まる( - 紀元前724年)。
紀元前743年頃
アナトリア・アルメニアのウラルトゥ王国のサルドゥリ2世が最大領土を実現。
ギリシア系カルキス人がメッシーナ海峡を望むイタリア半島先端に植民市レギオン(現レッジョ・カラブリア)を建設。
紀元前740年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がシリアのアルパドを陥落させる。
紀元前740年頃
ギリシア文字の最古級の銘文である「ディピュロンの銘文(英語版)」が刻まれた酒注ぎ(オイコノエ)が作られる(アテネ国立考古学博物館蔵)。
フリギア王国の首都ゴルディオン(トルコのヤッス・ホユック(英語版)遺跡)の「ミダス王の墓(Tumulus MM)(ラテン語版)」が建てられる。
ゴルディオンで最も大きな墳丘であり、最古級の木槨墓でもある。木製品などの副葬品が残存していた。
アンカラのアナトリア文明博物館(英語版)に木槨墓が再現してある。
紀元前730年代
紀元前735年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がウラルトゥ王サルドゥリ2世に勝利し都のトゥシュパ(ヴァン)を攻撃。
紀元前734年頃 - ギリシアのコリントス人によりシチリア島に植民市シュラクサイが建設される。
紀元前732年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるシリア・エフライム戦争。地中海東岸のダマスコ・サマリアなどを征服。
紀元前720年代
紀元前729年 - アッシリア王ティグラト・ピレセル3世によるバビロニア遠征。ナブー・ムキン・ゼリを打倒しバビロンを占領。
紀元前728年 - メディアの初代国王デイオケスが即位し、都のエクバタナを建設する。
紀元前727年
ヌビア人の王ピアンキがヘルモポリスの王国とヘラクレオポリスの王国を征服。
さらに第23王朝(レオントポリス)・第22王朝(タニス)・第24王朝(サイス)の王が順に降伏して全エジプトを支配下におく。
ピアンキによりエジプト第25王朝が成立する。ゲベル・バルカルのアメン神殿「勝利の碑文(フランス語版)」にその記録が残る。
アッシリア王ティグラト・ピレセル3世死去、シャルマネセル5世が即位。
紀元前724年 - イトメ山の戦いでのメッセニア王アリストデモスが自殺。