世紀前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀
十年紀前550年代 前540年代
前530年代
前520年代 前510年代
年前533年 前532年 前531年
紀元前530年
紀元前530年(きげんぜん530ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元224年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前530年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
干支 : 辛未
日本
皇紀131年
安寧天皇19年
中国
周 - 景王15年
魯 - 昭公12年
斉 - 景公18年
晋 - 昭公2年
秦 - 哀公7年
楚 - 霊王11年
宋 - 元公2年
衛 - 霊公5年
陳 - 恵公4年
蔡 - 平侯元年
曹 - 武公25年
鄭 - 簡公36年
燕 - 悼公6年
呉 - 余昧元年
朝鮮
檀紀1804年
ベトナム :
仏滅紀元 : 15年
ユダヤ暦 : 3231年 - 3232年
できごと
中国
斉の高偃が軍を率いて北燕伯款を唐に送り込んだ。
宋の華定が使節として魯に赴いた。
斉の景公・衛の霊公・鄭の簡公が晋に赴き、昭公に朝見した。
楚の霊王が大夫の成虎を殺させた。
晋の荀呉が斉軍と合流すると偽り、鮮虞に道を借りて昔陽に攻め入り、肥を滅ぼした。
周の原伯絞がその家臣らによって追放された。
周の甘悼公過が甘成公や甘景公の支族を排除しようとして、反撃に遭い、殺害された。甘成公の孫の甘平公鰌が立てられた。
魯の叔仲小・南?・公子憖が季孫氏の排除を計画した。費の宰の南?は費に拠って離反して、斉についた。公子憖は費の離反を聞いて斉に亡命した。
楚の霊王が州来で狩猟をおこない、徐を包囲し、呉を脅かした。
晋が鮮虞を攻撃した。
誕生
死去
簡公 - 鄭の君主