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千年紀:紀元前1千年紀
世紀:前6世紀 - 紀元前5世紀 - 前4世紀
パルテノン神殿。アテナイのアクロポリスに建つアテナ女神に捧げられた神殿で、ペルシア戦争に勝利した後に、将軍ペリクレスによって再建がなされ、今あるような姿となった。デロス島。全盛期のアテナイはこのデロス島に金庫を置いてデロス同盟を支配した。画像は紀元前7世紀にナクソス人が奉納したと伝わるデロス島のライオンの回廊(レプリカ)。ギリシア悲劇の黄金時代。繁栄するアテナイではアイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスら悲劇詩人が活躍し、彼らの作品は多くの観衆の涙を誘った。画像はソフォクレスの悲劇でも有名なオイディプスと怪物スフィンクスを描いた赤絵式陶器。「ダイバーの墓」。マグナ・グラエキア(イタリア南部)の都市パエストゥムの近郊で発見された墓で、この時代の風俗を描いた貴重なフレスコ画が残っている。オドリュサイ王国の勃興。現在のブルガリアを拠点とするトラキア人の最初の統一国家が生まれたのは紀元前480年頃のことである。黄金による工芸に優れ多くの遺宝が残されている。画像は初代王テレス1世のものとされる黄金のマスク。テルモピュライの悲劇。ペルシア戦争でスパルタ王レオニダス1世とその配下の兵士がペルシア軍100万人に対し300人で奮戦したが、刀折れ矢尽きて敢え無く玉砕した。画像はレオニダスの肖像彫刻として伝わる重装歩兵の大理石像 (スパルタ考古学博物館蔵)。「万国の門」。ペルセポリスはダレイオス1世以後も拡張が続けられているが、その北西に設置されたのがこの門で、ペルシア語・エラム語・バビロニア語の三言語で君主クセルクセス1世と神アフラ・マズダへの礼讃が記され「クセルクセス門」とも呼ばれている。釈迦成道の聖地ブッダガヤ。八大聖地の一つとされ、大菩提寺(マハーボーディー寺)には多くの信者が集まる。儒家の孔子。政治的には不遇だったが『論語』にまとめられたその教えは後世に大きな影響を与えた。画像は唐の呉道玄によるもの。曾侯乙墓。中国の湖北省随県で発見された戦国時代初期の墓で、青銅製の礼器の他に多くの副葬品が発掘された。画像は総重量2567kgで65個の鐘からなる編鐘で完全な形で残っており、現在は中国の一級文物となっている。モンテ・アルバン。メキシコ南部オアハカにあるサポテカ文化を代表する遺跡。紀元前5世紀までにはオアハカ盆地は政治的に統一され、「踊る人々の神殿」が着工された。画像は神殿前に置かれた「踊る人々」の石彫。
紀元前5世紀(きげんぜんごせいき)は、西暦による紀元前500年から紀元前401年までの100年間を指す世紀。
できごと
紀元前500年代
紀元前5世紀頃が弥生時代の始まりと考えられていたが、紀元前10世紀まで遡る可能性が高まってきた。それにつれて、縄文土器時代の終わりも遡ることになる。
紀元前5世紀 - スイスのヌーシャテル湖北岸にあるラ・テーヌ遺跡が形成される。
紀元前5世紀 - ローマ市のラピス・ニゲル遺跡から出土した石碑文に最古級のラテン語が書かれる。
紀元前5世紀 - ケルト系民族のイベリア半島進出により、先住民と混交しケルティベリア人が形成される。
イベリア半島各地に残る「ベラッコ(英語版)(家畜の石像)」はこの時代のもの。
紀元前5世紀 - ナイジェリア中央ジョス高原で初期鉄器文化のノク文化が発展( - 2世紀)。
紀元前5世紀 - タジキスタンのオクサス川中流域タフティ・サンギーン(英語版)の神殿に「オクサスの遺宝(英語版)(大英博物館蔵)」が奉納される。
紀元前5世紀 - シベリアのパジリク古墳群に「ウコクの王女」が埋葬される。
紀元前5世紀 - 中国河南省固始県城北の侯古堆1号墓の被葬者が埋葬される。
紀元前500年頃 - メキシコのオアハカ盆地のサン=ホセ=モゴテ遺跡が放棄され、モンテ・アルバンが建設される。
モンテ・アルバンT期を代表する「踊る人々の神殿」が建設され、サポテカ文字が出現。
紀元前500年頃 - コロンビアのシヌー川下流域にシヌー文化が成立する。
紀元前490年代
紀元前499年 - イオニアの反乱よりペルシアとギリシアの間でペルシア戦争が始まる( - 紀元前449年)。
紀元前498年 - 孔子が魯の三桓氏排斥に失敗して追放される。
紀元前497年頃 - 紀元前489年頃 - 山西省侯馬晋城遺跡から出土した誓約文書「侯馬盟書」が書かれる。
紀元前496年 - レギッルス湖畔の戦い(第一次ラティウム戦争)で共和政ローマがラティウム人に勝利。
紀元前494年
ローマで聖山事件。この事件後にプレブスとパトリキが和解。平民会と護民官が置かれる。
呉王夫差が会稽で勝利し、越王勾践は降伏する(会稽の恥)。
紀元前490年
マラトンの戦いで、ミルティアデス率いるギリシア軍がペルシア軍を破る。
斉の景公が死去。臨?(山東省?博市)の「殉馬坑」はこの時のものか。
紀元前490年頃
マガダ国のアジャータシャトル王が都パータリプトラを建設する。
紀元前480年代
紀元前487年 - アテナイのアルコン(最高官職)の選出方法が抽選となる。
紀元前486年 - アケメネス朝のダレイオス1世が死去し、クセルクセス1世が即位。
ペルセポリスの拡張工事を行い、万国の門(英語版)(クセルクセス門)などを併設。
紀元前482年 - 呉王夫差による黄地の会盟。この最中に越が呉を攻撃する。
紀元前483年 - アテナイでアッティカ地方のラウリオン銀山の銀の使用方法が討議される。
この銀を用いてアテナイのテミストクレスは三段櫂船(トライリーム)100隻の建造を決議させる。
紀元前481年
シチリア島のエトナ山が噴火( - 紀元前460年)。
斉の田恒(田成子)がその君簡公壬を殺す。斉の実権が事実上田氏に移る。
この年で魯の年代記『春秋』の筆がおかれる(魯の哀公14年・獲麟)。
紀元前480年
テルモピュライの戦いでペルシア軍がレオニダス王率いるスパルタ軍を全滅させる。
同じ頃、アルテミシオンの海戦でもギリシア軍は撤退。ペルシア軍はアテナイに侵攻し全土を蹂躙する。
サラミスの海戦でテミストクレス率いるギリシア軍がペルシア軍に勝利。
ヒメラの戦いでシュラクサイ僭主ゲロンがカルタゴ将軍ハミルカル1世に勝利。
この勝利を記念してアクラガスの僭主テロンはゼウス・オリンピア神殿を建立。
紀元前470年代
紀元前479年
プラタイアの戦いとミュカレの戦いにギリシア軍が勝利し、ペルシアの侵攻が頓挫する。
「ペンテコンタエティア(英語版)」と呼ばれる「50年間の休戦期間」が始まる。
ギリシア側の勝利を記念してデルポイに「青銅の蛇の柱(英語版)(現在はイスタンブル考古学博物館蔵)」が設置される。
孔子が死去し、曲阜の城北の泗水のほとりに葬られる。
紀元前478年 - アテナイを盟主とするデロス同盟が結成される( - 紀元前404年)。
この時期のアテナイを「アテナイ海上帝国」とも呼ぶ。一方でスパルタはギリシアでの指導権を放棄し内向化。
紀元前474年 - クマイの戦いで、シュラクサイの僭主ヒエロン1世がエトルリアに勝利し、ティレニア海の制海権を握る。
紀元前473年 - 越王勾践が都の姑蘇を陥落させ、呉王夫差を自殺に追い込み、呉を滅ぼす。
紀元前472年 - 徐州会盟(中国語版)により越王勾践が覇者となる。
紀元前471年 - アテナイとピレウスを結ぶ「テミストクレスの壁(英語版)(マクラ・テイケー)」が建設される。
紀元前470年頃
テミストクレスが陶片追放によりアテナイからアルゴスに亡命。
「デルポイの御者(英語版)」が作られる(デルポイ博物館蔵)。
イタリア南部パエストゥムの「ダイバーの墓」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
イタリア中部タルクィニアの「豹の墓(英語版)」が作られ「饗宴」の壁画が描かれる。
紀元前460年代
紀元前468年 - 越王勾践が都を瑯?に遷す。
紀元前466年
鳥海山が噴火し、大規模な山体崩壊を引き起こす。
エウリュメドン川の戦いでギリシア軍がペルシア軍に勝利。