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出典検索?: "紀元前4世紀"
千年紀:紀元前1千年紀
世紀:前5世紀 - 紀元前4世紀 - 前3世紀
十年紀:前390年代 前380年代 前370年代 前360年代 前350年代
前340年代 前330年代 前320年代 前310年代 前300年代
イッソスの戦い。画像はローマ時代のポンペイのモザイク壁画で、アケメネス朝のダレイオス3世と向かい合うマケドニアのアレクサンドロス大王(ナポリ国立考古学博物館蔵)。マケドニアの勃興。アレクサンドロス大王の父ピリッポス2世の時代からマケドニアは財力と軍事力によって周辺諸国を圧倒し始めた。画像はマケドニアの首都であったペラに残る「ディオニュソスの館」の遺跡。プラトンのアカデメイア学園。アカデメイア学園は古典古代を通じて教育機関の模範と見なされ、後世「アカデミー」の語源ともなった。画像はローマ時代のポンペイのモザイク壁画(ナポリ国立考古学博物館蔵)。アリストテレス。『形而上学』を初めとする諸学に通じ、「万学の祖」として後世の学問に多大な影響を与えるとともに、アレクサンドロス大王の家庭教師を務めたことでも知られる。画像はローマ国立博物館所蔵の胸像。エピダウロスの劇場。古代ギリシアでは悲劇や喜劇が民衆に支持されていた。医療の神アスクレピオスの聖地でもあったエピダウロスの劇場はそれらの中でも最も保存状態が良く、この世紀に作られて以来、現在でも劇場として用いられている。アッピア街道。「全ての道はローマに通ず」という言葉があるように、支配地域を拡大した都市国家ローマにとって軍事や運搬のための道路整備は不可欠だった。画像はクアルト・ミグリオ(Quarto Miglio)付近の街道の風景。「エルチェの貴婦人」。フェニキア人の入植活動が盛んになる以前にイベリア半島にいた先住民イベリア人は独特な文化を発達させていた。イベリア人の文化を代表するこの貴婦人像はスペインのマドリッド国立考古学博物館に所蔵されている。アケメネス朝の残照。大英博物館所蔵の「オクサスの遺宝」はマケドニアに滅ぼされたアケメネス朝の工芸の巧緻さを示すものとして名高い。画像はグリフォンをかたどった黄金の腕輪で紀元前5世紀から紀元前4世紀のもの。マウリア朝の成立。アレクサンドロス大王襲来の後、インドでも統一王朝の機運が高まった。画像はマウリア朝の初代君主(サムラート)チャンドラグプタがジャイナ教の師(スワミ)バドラバーフに帰依したことを記録した碑文で聖地シュラバナベラゴラに置かれているもの。ドンソン文化(東山文化)。紀元前4世紀から紀元前1世紀にベトナム北部で発展した青銅器文化で、特に祭器としての銅鼓は中国雲南からインドシナ半島各地に伝播していく原型ともなった。画像はディエンビエンフー(奠邊府)のダー川(沱江)流域で発見された銅鼓。中山王墓。遊牧民族白狄を起源とする中山国は、戦国の大国に挟まれた小国であったが1970年代の発掘により中山王の王墓と大量の埋葬品が出土した。画像は出土した銀象嵌双翼神獣像。
紀元前4世紀(きげんぜんよんせいき)は、西暦による紀元前400年から紀元前301年までの100年間を指す世紀。
できごと
ケルト人がアイルランド島へ侵攻。
イベリア人文化を代表する「バーサの貴婦人(英語版)(スペイン国立考古学博物館蔵)」や「エルチェの貴婦人(英語版)(同館蔵)」が作られる。
デンマークのビェルスコウのピート・ボグ(泥炭湿原)に埋められていた湿地遺体トーロンマンはこの時代の人物か。
マケドニア王国がギリシアを統一し、アケメネス朝を滅ぼす。
トラキア(ブルガリア)の「パナギュリシテの遺宝(英語版)」が埋蔵される( - 紀元前3世紀)。
小アジアのリュキア地方のデムレ近郊のミュラのネクロポリスが造営される。
ロシアの南ウラル地方が中心地だったサルマタイ人によるプロホロフカ文化がヴォルガ川・ドン川流域に拡大する。
ウクライナに「黄金の女性胸飾り(英語版)」が納められたトヴスタ・モヒーラ(トルスタヤ・モギーラ)古墳(ウクライナ語版)がスキタイ人により作られる。
インドでシシュナーガ朝が興亡。
この王朝のカーラーショーカ王の時代に第2回仏典結集が行われたか。
第2回仏典結集の後に仏教教団で根本分裂が起こり上座部と大衆部に別れたとされる。
ベトナム北部で青銅器文化の東山文化(ドンソン文化)栄える。
ラ・ベンタ(オルメカ文明)の衰退と放棄。
紀元前400年代詳細は「紀元前400年代」を参照
紀元前400年頃
メキシコのポポカテペトル山噴火。
日本の弥生時代中期が始まる(2003年に公表された国立歴史民俗博物館グループの研究による)。