世紀前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀
十年紀前380年代 前370年代
前360年代
前350年代 前340年代
年前365年 前364年 前363年
紀元前362年
紀元前362年(きげんぜん362ねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「アハラとアヴェンティネンシスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元392年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前362年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
干支 : 己未
日本
皇紀299年
孝安天皇31年
中国
周 - 顕王7年
秦 - 献公23年
楚 - 宣王8年
斉 - 桓公13年
燕 - 桓公11年
趙 - 成侯13年
魏 - 恵王8年
韓 - 昭侯元年
朝鮮
檀紀1972年
ベトナム :
仏滅紀元 : 183年
ユダヤ暦 :
できごと
ペルシア帝国
カリアのマウソロスが、ペルシア帝国のアルタクセルクセス2世に対してアナトリア半島各地のサトラップ(太守)たちの反乱に加わった。
エジプト
スパルタ王アゲシラオス2世が、ペルシア帝国との戦いでエジプトに加勢するため、1000人の兵士とともに来援した。
ギリシア
マンティネイアの戦い (紀元前362年)
アルカディア同盟 (Arcadian League) に内紛が勃発し、マンティネイア (Mantineia) は、アテナイおよびスパルタと結び、テゲアや他の同盟参加国はテーバイに味方した。テーバイの将軍エパメイノンダスは、ペロポネソス半島各地からの多数の同盟軍を率いることになった。これに対して、将軍アルキダモス3世が率いるスパルタ、アテナイ、そのほかの同盟軍が、マンティネイアの戦いで相見えた。この会戦は、テーバイ側の勝利に終わったが、エパメイノンダスは戦死した。エパメイノンダスは死に際に会戦後の和平を命じたため、和平が結ばれ、ギリシア全域に平和が到来した。これによってギリシア全域に対するテーバイの覇権の時代は終わった。
中国
魏が?で韓と趙の連合軍を破り、趙の楽祚を捕らえた。
少梁の戦いにおいて秦と魏が戦い、魏が敗れて、宰相(公孫?)が捕虜となった。