世紀前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀
十年紀前270年代 前260年代
前250年代
前240年代 前230年代
年前259年 前258年 前257年
紀元前256年
紀元前256年(きげんぜん256ねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングスとクィントゥス・カエディキウスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元498年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前256年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
干支 : 乙巳
日本
皇紀405年
孝霊天皇35年
中国
周 - 赧王59年
秦 - 昭襄王51年
楚 - 考烈王7年
斉 - 斉王建9年
燕 - 孝王2年
趙 - 孝成王10年
魏 - 安釐王21年
韓 - 桓恵王17年
朝鮮 :
ベトナム :
仏滅紀元 : 291年
ユダヤ暦 :
できごと
共和政ローマ
ローマ軍は、第一次ポエニ戦争を早期に終結させるため、北アフリカのカルタゴの植民地を侵攻することを決めた。ハミルカルに率いられたカルタゴ軍はこれを阻止しようとしたが、執政官マルクス・アティリウス・レグルスとルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングスに率いられたローマ軍は、シチリア南岸のエクノモス岬の戦いでカルタゴ軍を破った。
エクノモス岬の戦いの後、ローマ軍はカルタゴの領土に上陸し、破壊行為を始めた。ローマ軍はすぐにカルタゴから東に40マイルのケリビアを占領した。ローマ軍を町の守りに就かせた後、2人の執政官は、本国から、ウルソは多くの兵を連れてローマに戻り、レグルスは歩兵と騎兵を率いてその地に留まり、戦争を終結させるようにとの指令を受けた。
カルタゴの南東64qのアディス近郊で、カルタゴ軍とレグルスに率いられたローマ軍との間で、アディスの戦いが行われた。ローマ軍は大勝し、カルタゴ軍は和平を求めた。交渉の過程で、レグルスはカルタゴに無条件降伏とシチリア、コルシカ、サルディニアのローマへの譲渡、海軍の放棄、保障金の支払い、ローマに隷属する条約の締結を求めた。これらの条件は厳しいものであり、カルタゴの市民は戦争の継続を求めた。
中国
秦の将軍楊摎が韓を攻撃し、陽城・負黍を陥落させた。さらに趙を攻撃し、20県あまりを奪った。
西周の文公は諸侯の軍を結集し、伊闕を出て秦を攻撃して、陽城との連絡路を遮断しようとした。秦の昭襄王は将軍楊摎に西周を攻撃させた。西周の文公は秦に降伏し、その領土を献上した。赧王も秦の庇護下に入ったが、まもなく死去した。周はここに事実上滅亡したが、東周君の昭文君の国が7年間存続した。