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千年紀:紀元前2千年紀
世紀:前20世紀 - 紀元前19世紀 - 前18世紀
紀元前19世紀(きげんぜんじゅうきゅうせいき)は、西暦による紀元前1900年から紀元前1801年までの100年間を指す世紀。「マリのライオン像(英語版)」。メソポタミア各地が争うイシン・ラルサ時代にあってマリは安定した国家を営んでいた。このライオン像は紀元前2千年紀初期に作られたもので、現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されている。センウセルト3世。後の歴史家マネトによると2メートルを超す長身の王で、手足も人並み以上の巨躯であったと記されている。強力な指導力を発揮しエジプト第12王朝の繁栄をもたらした。画像は大英博物館所蔵のセンウセルト3世の肖像彫刻。ミノア文明のカマレス土器。黒地に白・赤・黄色を大胆に用い抽象的な意匠を凝らした土器で、轆轤が使われているため大量生産されたものであり、宮殿と関係した工房の存在が想定されている。
出来事
紀元前1900年代
紀元前1900-1800年頃
アナトリアのカニシュ(ネサ(現キュルテペ))にアッシリア系商人のカールム(商業地域)が設置される。
アッシリア語で書かれた経済文書(「カッパドキア文書・キュルテペ文書」)が多数出土し、銅の交易が盛んであった。
ミノア文明は古宮殿時代(MMIB期)で轆轤を用いたカマレス土器が出現する。
紀元前1900年頃
アナトリアにインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト人が定着する。
先住民の非インド・ヨーロッパ語族のハッティ人と交流を持ったか。
インダス文明統合期(ハラッパー文化IIIC期)が終わる。
インダス文明の諸都市が放棄され、ポスト・ハラッパー文化期に移行する。
古代エジプトの悲嘆文学を代表する『生活に疲れた者の魂との対話』が書かれる。
紀元前1890年代
紀元前1897年頃
エジプト王センウセレト2世が即位。ファイユームにラフーンのピラミッドが建てられる。
紀元前1870年代
紀元前1876年 - 夏王朝によって最古の日食が記録される[1]。