紀伊田辺駅
駅舎(2019年7月)
きいたなべ
Kii-Tanabe
◄紀伊新庄 (2.2 km) (4.1 km) 芳養►
所在地和歌山県田辺市湊1番24号.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度43分59.06秒 東経135度23分3.04秒 / 北緯33.7330722度 東経135.3841778度 / 33.7330722; 135.3841778
紀伊田辺駅(きいたなべえき)は、和歌山県田辺市湊にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)の駅。事務管コードは▲622067[2]。 田辺市の代表駅で、特急「くろしお」を含むすべての定期列車が停車する。普通列車は、当駅が終点であり、線内の普通列車で当駅を越えて運転されるのは、朝の周参見発御坊行きと、夜の御坊発新宮行きのみである。また、亀山駅から当駅までは単線だが、当駅から和歌山駅までは複線となる。 かつては紀伊田辺機関区が併設されており、D51形・D60形・C57形・C58形などの蒸気機関車、入換用に、8620形・C50形なども配置されていた。扇形車庫などもあり、和歌山機関区・新宮機関区・亀山機関区と並ぶ紀勢本線の重要な車両基地であった。現在も紀伊田辺運転区・紀伊田辺保線区・田辺電気区が設置され、紀南エリアの拠点であると同時に、紀勢本線運行上の要衝としての役割を果たしている。 第二次世界大戦後は、田辺地方引揚援護局の設置に伴い、主に台湾などからの戦後引揚者を輸送する引揚列車の起点としても重要であった。
概要
歴史開業当時の駅舎(1932年)開通祝賀風景(1932年)構内(1934年)駅舎(2016年1月)
年表
1932年(昭和7年)11月8日:国有鉄道紀勢西線の駅として開業する[1][3]。
1933年(昭和8年)
11月4日:阪和電気鉄道の紀勢西線直通列車「黒潮号」が阪和天王寺駅 - 当駅間で運転を開始する(後に白浜口駅まで運転区間を延長したのち、1937年12月1日廃止)[1]。
12月20日:紀勢西線が当駅から紀伊富田駅まで延伸される[1]。
1945年(昭和20年)7月25日:9時20分 - 10時40分、艦載機による駅攻撃。機関車7両損傷[4]。
7月28日:機銃掃射を受ける。男性1名死亡[4]。
1957年(昭和32年)3月10日:跨線橋を改築する[5]。
1959年(昭和34年)7月15日:現在の紀勢本線が全通、紀勢本線所属となる[1]。
1971年(昭和46年)10月25日:第26回国民体育大会に出席するために昭和天皇、香淳皇后が行幸啓。お召し列車が粉河駅 - 紀伊田辺駅間で運行[6]。
1977年(昭和52年)4月18日:第28回全国植樹祭に出席するために天皇、皇后が行幸啓。