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出典検索?: "紀ノ川" 小説
『紀ノ川』(きのかわ)は、有吉佐和子の小説である。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)の雑誌『婦人画報』に1959年1月号から1959年5月号まで連載、同年6月に中央公論社(現中央公論新社)より単行本として刊行された。1964年にNHKでテレビドラマ化、1966年、中村登監督により松竹で映画化された。 和歌山を舞台に、素封家の女性3代、明治生まれの花、娘の文緒、孫で戦後世代の華子まで、明治・大正・昭和を生きていく様を描く。 和歌山県伊都郡九度山村の紀本家本家を取り仕切るとよのは、孫娘の花を当時としては珍しく高い教育を受けさせるために和歌山市内の女学校に入学させた。そのため、とよのははなと和歌山市内で暮らしもした。当時は女に学をつけさせる必要はないとの価値観が主であったが、とよのははなに対してはなの兄のまさたかと同様の学をつけさせた。 はなはたいそうの器量よしであったし学もあるとのことで降るような縁談がきたが、とよのの妹が嫁いだ先の家からの縁談には「いとこ同士は血が濃すぎる」、川上の村の豪族からの縁談には「紀ノ川の流れに逆らって嫁ぐと不幸になる」と、とよのは全てに難癖をつけて断った。はなの父のぶたかも呆れるほどであった。 15?16でも嫁入りをする風習の時代に行き遅れとは言えないが行き急ぎとも言えない、18の盛りを越して縁談が決まらないことにのぶたかは焦ったころ、とよのがはなの嫁入り先として六十谷(むそた)有功(いさお)村真谷家本家の長男けいさくを決めた。けいさくは東京の専門学校に行き、村へ帰ってきてからは村長という重責も担う名士であった。とよのは「けいさくは将来大物になる」と予感していた。結婚が決まると、とよのははなを連れて京都へ行き、箪笥・琴・着物を手配した。できるまで1年以上かかるものもあった。 結納を取り交わしてから2年後にはなはけいさくに嫁いだ。九度山から有功までの越し入れは当時流行の人力車ではなく昔ながらの塗り駕籠と紀ノ川を下る船の行列という豪勢なものであった。とよののはなに対する愛情によるものであった。しかし、生まれたときから「いずれは本家をでて分家をする身である」と決まっていたこうさくにとっては、とよのの心づくしの豪勢な越し入れ行列が、自尊心を傷つけるものになっていた。 こうさくは、村役場の書記との職がありながら役場にも行かずに、毎日本を読んでいた。遠く東京の書店から届く多くの本は、街の女学校で勉強をしたことがあるはなにとっても、とても好読心を呼ぶものであったが、こうさくははなの語りかけや書籍借用の申し入れににべもない態度で答えた。 皇太子(後の大正天皇)が成婚された年の10月にはなは男の子・せいいちろうを生む。秋に嵐が来る。紀ノ川が氾濫する。けいさくの村は彼が村長就任と同時に堤防をメンテナンスしたおかげで有功村内に水が来ることは無かったが、周辺の村では浸水・行方不明の被害が出た。被害の出たいわで村へけいさく率いる若者が援助に行く。 紀ノ川の下流のはんだ村から上流のいわで村へ嫁いだ娘は婚礼からまだ10日も経っていなかったのに命を落とした。はなはこの縁談の話を耳にしたときに、祖母であるとよのの「紀ノ川の流れに逆らって縁談をしてはならぬ」との言葉を思い出したのだが、街で学んだけいさくが言い伝え等を信じぬのを知っており、とよのの話をけいさくに言うのははばかったのだけれど、不幸が生じたことで後悔を覚えた。 たへいが72で亡くなってから二年後、こうさくが独身のまま分家する。けいさくは山全部を譲った。それは本家不動産の1/3であった。けいさくは不動産全部どころかちょうくいの院号(士族の身分)もこうさくにやって良いと言ったが「平民の方が楽!」とこうさくは断った。けいさくは「村全部(人望)が俺の財産だから」と言った。はなはそれを聞いて「和歌山全部があなたのものなのでは?」と言った。けいさくの人望は県全土に届いていた。県の役人が彼に相談に来るほどだった。「こうさくはお前に惚れとる。そんなお前を嫁にしたのだから山全部ぐらいくれてやる!」。 はなが実家を訪ね、とよのと話をしても「どうやらこれから戦争になる」との天下国家の話。「ドストエフスキーやトルストイのいる国と戦争をしても勝てるのかいのう」。とよのも「国民の友」「都の花」を毎号読んでいるので外国文学にも通じているのである。分家が決まってからこうさくははなに機嫌よく接するようになる。借りたい本だけでなく「これを読め!」と本を貸してくれる。その中にはこれから戦争となる相手国の作家(トルストイやドストエフスキー)のものもあった。 はなが第二子である女児を生んだのと同じ頃、実家でとよのが他界した。その知らせを受けたやすは自身の口からはなに伝えられず、けいさくの帰りを待って彼から伝えられた。はなは衝撃を受けるも、けいさくが九度山に出かけている間に「この女児はとよのの生まれ変わりなのだ」と信じた。
物語
あらすじ
第一部