本項では、新潟県糸魚川市とその周辺におけるヒスイの生成と地学的見地、そして利用の歴史などについて取り上げる。糸魚川市近辺で産出されるヒスイは、5億2000万年前に生成された[1]。長い時間を経て、原産地周辺ではヒスイを利用する文化が芽生えた[2][3][4][5]。その発祥は、約7000年前の縄文時代前期後葉までさかのぼることができる[2]。これは世界的にみても最古のもので、同じくヒスイを利用したことで知られるメソアメリカのオルメカ文化(約3000年前)とマヤ文明(約2000年前)よりはるかに古い起源をもつ[2][4]。
ヒスイ文化は原産地である糸魚川を中心とする北陸地方で著しい発展を見せた[2][6]。ヒスイ製の玉類などは、その美しさと貴重さゆえに威信財(いしんざい)[7]として尊ばれた[2][8]。ヒスイ製品の完成品や原石類は縄文時代、弥生時代から古墳時代を通じて近隣地域だけではなく、西は九州・沖縄、北は青森や北海道、さらには海を越えた朝鮮半島にまで広く流通した[6][8][9][10]。
奈良時代になるとヒスイの文化は急激に衰退していき、やがて完全に姿を消した[11]。その後は「日本にはヒスイが産出しない」という説が出るほど、糸魚川産のヒスイの存在は忘れ去られていた[12]。
1935年(昭和10年)、約1200年の時を隔ててヒスイが糸魚川で再発見された[13]。以後の考古学的調査や科学的分析などを集積した結果、縄文時代以降に日本で利用されたヒスイはそのすべてが糸魚川産であることが明らかになった[14][15][16][17]。2016年(平成28年)、日本鉱物科学会はヒスイを「国石」として選定している[18][19][20]。目次
1 ヒスイの特徴と糸魚川ヒスイ
2 糸魚川周辺のヒスイ産地とその特徴
2.1 姫川ヒスイ産地
2.2 青海川ヒスイ産地
2.3 河川流域と海岸部のヒスイ産地