精神障害の診断と統計マニュアル
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精神障害の診断と統計マニュアル(せいしんしょうがいのしんだんととうけいマニュアル、英語: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, DSM)は、精神障害の分類(英語版)の目的でアメリカ精神医学会から出版された書籍である。

DSMの原型となったのは、ハリー・スタック・サリヴァンによる「徴兵選抜局医事通信1号」である。これは第二次大戦中に徴兵選抜を効率的にするために作成されたものだった[1]。DSMの第3版より、明確な診断基準を設けることで、精神科医間で精神障害の診断が異なるという診断の信頼性の問題に対応するようになる[2][3]。2023年6月には『DSM-5-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』が出版された。

DSMは、世界保健機関による疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)とともに、国際的に広く用いられている[4]。いずれも記述精神医学であり[5]、「特定の状態が特定の期間に存在する」という具体的な診断基準を設けた操作的診断基準に属する。疾病の解明に加え、各々の医師などの間における結果の比較を可能とし、また、疫学的調査に有用である。「したがって、極言すれば、診断基準は元々、個々の患者での診断を正確に行うために作られたものではない」と言うことも出来る[3]

明示的な診断基準がないため、以前の診断基準では、アメリカと欧州、また日本での東西によって診断の不一致が見られた[2][3]。このような診断の信頼性の問題により、明示的な診断基準を含む操作的診断基準が1980年のDSM-IIIから採用され、操作主義の精神医学への導入であり画期的ではあった。一方で、恣意的に適用されてはならないといった弱点はいまだ存在する[2]。依然として、どの基準が最も妥当性があるかという問題の解決法を持たず、他の診断基準体系との間で診断の不一致が存在するため、原理的に信頼性の問題から逃れられないという指摘が存在する[2]
用途

多くの精神福祉の専門家は、患者を評定した後、確定と患者の診断を伝える手助けにこのマニュアルを用いる。

アメリカ合衆国の病院やクリニック・医療保険会社は、患者を治療するためにDSMの診断を要求する。DSMは臨床的に広く用いられ、また患者のカテゴリーとして研究目的で診断基準が用いられる。特定の障害における研究は、障害のためのDSMの基準の一覧に一致する症状を有する患者を募集する。66か国での精神科医の国際的調査が、ICD-10とDSM-IVの使用を比較し、前者が臨床診断に、後者は研究での評価により、頻繁に用いられていた[6]

DSMは単なる診断基準であり、さらに客観的な指標として得点化する場合には評価尺度が用いられることがある。うつ病におけるハミルトンうつ病評価尺度のような、特定の診断に対応したものが存在する。
統計

DSMはICD-10における「精神および行動の障害」にほぼ相当する。DSMの「Mental Disorder(精神障害)」は非常に幅広い概念である。DSM-IVでは374種類の障害が含まれる[注 1]。したがって、DSMに記載されたあらゆる精神障害の有病率を合計すると、著しく高い数値となってしまう。また、精神障害の有病率を調査する場合、特定の障害に絞り込んで調査することが一般的である[注 2]

2005年、WHOの世界精神保健調査は、DSM-IVの4つの診断カテゴリに含まれる19種類の(軽症例を含めた)障害について、米国人の生涯有病率[注 3]を46.4%[注 4]、12か月有病率[注 5]を26.2%[注 6]と報告している[9][7][8]
歴史
DSM-I (1952年)

第一次大戦で大量の戦争神経症が発生した反省から、第二次世界大戦では徴兵選抜の段階から精神医学的介入が求められた。米国陸軍の依頼を受けてハリー・スタック・サリヴァンは1940年に一般医向けの精神医学的スクリーニング法を開発し、これを徴兵選抜局に提示する[10]。サリヴァンはこれを41年に改訂し、43年にはメディカル203と名付けられてに陸軍技術告示として正式に刊行された[11]。これが戦後のアメリカで精神医学的な分類の基礎となる[12]。DSM-Iの序文にはアメリカ海軍が独自のいくつかの小さな改定を行ったと記されている。

1949年に、世界保健機関疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD、International Statistical Classification of Diseases)の第6版を公表し、この時はじめて精神障害の節が設けられた。DSM-Iの序文には軍の用語集に似た慣習で分類されていると記されている。多くの文章はメディカル203と同一であった[11]。このマニュアルは130ページで106の精神障害が一覧にされた[13]。そこには「人格障害」(personality disturbance)のいくつかの分類が含まれ、「神経症」(神経質、自我異質的(英語版))とは区別された[14]。同性愛者は1974年5月まで、DSMに残った[15]
DSM-II (1968年)

1960年代、精神疾患自体の概念に多くの課題が存在した。これらの課題はトーマス・サズ(英語版)のような精神科医からもたらされ、彼の主張は精神障害は、道徳的な衝突を偽装するために用いられている神話であるということである。

アーヴィング・ゴッフマンのような社会学者からは、精神障害は、単に非体制者を社会的に決め付け制御する方法の例であるとされた。行動主義心理学者は、識別できない現象であるという精神医学の原理的な信頼性に挑んだ。また同性愛権利活動家からは、同性愛を精神障害として記載するAPAを批判した。ローゼンハン実験が『サイエンス』にて公開され多くの注目を集め、精神医学の診断の有効性における攻撃だとみなされた[16]

とはいえ、APAはICD(第8版、1968年)の精神障害の章の次の重要な改定と密接に関連しており、そのことはDSMの改定版の推進を決定した。1968年に公開され、182の障害が挙げられ、134ページの長さであった。


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