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出典検索?: "ちまき"
ちまき(粽、中国語: 粽 または 粽子、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: zong ツォン または zongzi ツォンズ)は、もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササなどの「ちまきの葉」(中国語: 粽葉; ?音: zongye)で包み、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したり茹でて加熱し、その葉を剥いて食べる。 後漢の『風俗通義』(2世紀末)に古い記載があり、粽は「角黍」とも呼び、菰葉(マコモ)の葉でもち米を包んで灰汁で煮たものと記載されており[1]、同様の記述が周処(297年没)の『風土記』にみられる[2]。 『説文解字』の原書にはないが、宋代になって追捕された『説文新附』(10世紀)には、「粽」の字が追加され、本字を「?」とし、字義を「蘆葉裹米也」(蘆(あし)の葉で米を包む也)とする[3]。この字の旁(つくり)である「?
名称
日本ではもともとササではなくチガヤの葉で巻いて作られたことから、ちまき(茅巻き)と呼ばれるようになった[6]。 中国において、ちまきは水分を吸わせたもち米を直接葦の葉で包み、茹でる、もしくは蒸す方法で加熱して作る方法が主流である。材料の米にはもち米のみを用いることが多い[7]。米と一緒に、味付けした肉、塩漬け卵、棗(なつめ)、栗などの具や、小豆餡などを加えることが多い。特別なものでは、アワビやチャーシューを包んだものもある。形は正四面体が多いが、直方体、円筒形のものもある。中国北部では甘いちまき、南部では塩辛い味のちまきが好まれるが、そうした違いは南北との交流が盛んになった現在では少なくなってきている。 吉林省、遼寧省、内モンゴル、天津市、山東省、上海市、江蘇省、江西省、広東省、福建省などの地域では端午節にちまき(粽子)を食べる習慣がある[7]。 中国の戦国時代、楚の政治家で詩人の屈原は、汨羅江(べきらこう)で入水自殺したとされる。のちに次のような伝説が生まれた。屈原の命日(5月5日)には[8]、民衆はこれを悼んで、供物の米を竹筒につめて川に投じていた。しかし、後漢の初めの建武(紀元26-56年)の頃、長沙の區曲という者の夢枕に屈原(の霊)が現れ、供物は悪い竜に食べられてしまうので、蛟竜が苦手とする楝樹(おうち)の葉でふさぎ、魔除けの五色の糸で縛って、川に投げ入げよとさとしたのが粽の起源とされる[9][10]。ただしこの伝説は漢代から数世紀たった呉均撰『続斉諧記
中国大陸
歴史(中国)「端午節」も参照
これはあくまで起源伝説であって、屈原にちまきを供える慣習が、この伝説のとおり紀元1世紀に遡るとは鵜呑みにできない。屈原と粽が結び付けられたのは、せいぜい5世紀前半、『世説新語』においてであって[4]、また、6世紀より以前に屈原が広く人口の間で祀られていたという実証はない[12]。