粟島汽船_(新潟県)
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粟島汽船株式会社
AWASHIMA-LINE
本社がある粟島総合開発センター
種類株式会社
本社所在地 日本
958-0061 
新潟県岩船郡粟島浦村3
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度28分3.1秒 東経139度15分17.6秒 / 北緯38.467528度 東経139.254889度 / 38.467528; 139.254889座標: 北緯38度28分3.1秒 東経139度15分17.6秒 / 北緯38.467528度 東経139.254889度 / 38.467528; 139.254889
設立1953年5月1日
業種海運業
法人番号3110001018011
事業内容一般旅客定期航路事業
代表者代表取締役社長 安井和弥
資本金6,500万円
決算期毎年9月30日
主要株主

粟島浦村

佐渡汽船

新潟県

村上市[1]

外部リンクhttps://awashimakisen.co.jp/
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粟島汽船株式会社(あわしまきせん)は、新潟県村上市岩船港岩船郡粟島浦村とを結ぶ定期航路を運航する第三セクター[1]海運会社である。
概要

1953年(昭和28年)5月1日に粟島浦汽船株式会社として運航を開始した。粟島と本土を結ぶ唯一の交通手段である。近年の来島者は2万人台で推移しており、輸送実績は2009年度は56,280人、2017年度は51,907人と減少傾向にある[2]

2020年令和2年)、新型コロナウイルス感染症の流行による社会混乱で観光シーズンに観光客を殆ど受け入れできなくなったことから過去最大の赤字となった[1][3]。これを受けて同年12月からはクラウドファンディングが行われた[4]
職員による不正行為

2021年3月から2022年5月にかけて、当時の総務部長と総務課長が給与改定通知書の偽造などにより手当を不正受給していた問題が発覚した。2名は1540万円を不正受給していたほか、総務部長の指示で職員24人に約750万円を不正受給させていた[5]。2名は懲戒解雇の上、主導的立場にあった元総務部長を刑事告訴、第三者委員会の調査と報告書に基づき再発防止策がとられた。従来、代表者には慣例的に粟島浦村長が就任していたが、経営立て直しのため、2023年1月19日の臨時の株主総会と取締役会で和幸船舶社長の安井和弥を新社長に選任、脇川善行粟島浦村長は副社長に就いた。外部人材の社長就任は1997年3月以来となる[6]
航路岩船港にある粟島汽船のりば

岩船港 - 粟島漁港(内浦)フェリー(航海時間約85分)と高速船(航海時間約55分)が就航しており、季節により便数が変化する[7]。フェリーは通常期1往復で、夏休み期間中の土日、お盆期間中などの繁忙期は2往復運航される。高速船は5月中と8月下旬以降の平日は2往復、その他は3往復で運航されている。冬期は高速船が11月から3月下旬まで運休となり、その間はフェリー2往復のみの運航となる。また、3月下旬から4月上旬にかけて、フェリーのドック期間中は高速船2往復のみとなる。高速船は乗船前の予約が必要で、ウェブサイト上でのオンライン予約も可能である。

社会実験

新潟港 - 粟島漁港(内浦)1974年に廃止された航路であったが、村が来島者増加のため、国土交通省の離島活性化交付金を活用した社会実験として2018年7月から「awaline きらら」を用いて期間限定で復活[2][8]。観光シーズンの土休日など17日間の運航があった2019年には952人の利用があった[9]

船舶
就航中の船舶
フェリー岩船港に停泊するフェリーあわしま

ニューあわしま2019年4月19日就航、654総トン、旅客定員400名[10]車両の積載能力はあるが島民と業者に限られ、観光客のマイカー積込は行っていない。

高速船岩船港に停泊するawaline きらら

awaline きらら2011年4月就航[11]ツネイシクラフト&ファシリティーズ建造(2011年3月29日竣工)、限定沿海184総トン、全長35.0m、幅8.7m、深さ3.3m、MTU 16V2000M72×2基、機関出力2,880kW、最大速力28.9ノット(試運転)、航海速力25.0ノット、旅客定員170名、乗組員3名日本海側で初の双胴高速船。新規開発された自動姿勢制御装置の装備、船型を活かした広い客室と輸送能力などが評価され、シップ・オブ・ザ・イヤー2011小型客船部門賞を受賞している。

過去の船舶

第八粟島丸
[12](貨客船)1953年11月進水、古山造船所建造、木造47.00総トン、登録長20.98m、型幅4.33m、型深さ1.98m、焼玉機関、機関出力150ps、最大速力6ノット、旅客定員55名1964年6月16日、新潟地震の津波により岩船港にて座洲、外板を損傷し、一ヶ月半後に航路復帰[13]

第十粟島丸[14](貨物船)1964年7月17日より岩船 - 粟島航路に臨時就航

あわしま丸[15](貨客船)1966年4月竣工、本間造船所建造、特定船舶整備公団共有85.11総トン、登録長23.53m、型幅5.30m、型深さ2.35m、ディーゼル1基、機関出力420ps、航海速力11.30ノット、旅客定員56名現在フィジーで運行中

えっさ丸[16](貨客船)1958年5月竣工、新潟造船建造。1971年佐渡汽船より買船[17]106.97総トン、全長29.04m、型幅5.50m、型深さ2.45m、ディーゼル1基、機関出力300ps、航海速力9ノット、旅客定員119人[18]

こしじ丸[19](貨客船)1956年9月竣工、1974年就航(買船)[20]新潟鉄工所建造、もと佐渡汽船303.44総トン、全長41.10m、型幅7.60m、型深さ3.90m、ディーゼル1基、機関出力650ps、航海速力11.00ノット、旅客定員362名もとは北海商船が建造した小樽 - 利礼航路船「おたる丸」

いわゆり[21](高速船)1979年5月31日竣工、同年6月16日就航[22]墨田川造船建造165.26総トン、全長28.45m、型幅6.00m、型深さ2.84m、ディーゼル1基、機関出力2,200ps、航海速力24.00ノット、旅客定員144名

みゆき丸[23](カーフェリー)1970年5月竣工、1983年7月21日就航(買船)、神田造船所建造。もと佐渡汽船[24]796.42総トン、全長62.25m、型幅13.40m、型深さ4.00m、ディーゼル1基、機関出力900ps、航海速力14ノット旅客定員326名(夏期486名)、大型バス7台・乗用車8台、または乗用車40台こしじ丸の代替として就航したフェリー化第一船。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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