粛州
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この項目では、歴史上の州について説明しています。酒泉市の区については「粛州区」をご覧ください。

粛州(しゅくしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の甘粛省酒泉市東部に設置された。
概要

602年仁寿2年)、隋により福禄県に粛州が設置された。607年大業3年)、粛州は廃止され、張掖郡に編入された[1]

619年武徳2年)、により甘州福禄県と瓜州玉門県が分離されて、粛州が置かれた。742年天宝元年)、粛州は酒泉郡と改称された。758年乾元元年)、酒泉郡は粛州の称にもどされた。粛州は河西道に属し、酒泉・福禄・玉門の3県を管轄した[2]安史の乱以後、粛州は吐蕃に占領されて、その統治を受けた。849年大中3年)には、帰義軍が粛州を奪回した。9世紀末には、粛州は帰義軍と甘州ウイグル王国の境界に位置した。

11世紀中葉には、粛州は西夏に属した。西夏により蕃和郡と改められた。

1226年チンギス・カンの西征により粛州は攻め落とされ、モンゴル帝国に帰属した。1270年至元7年)、粛州路総管府が置かれた。の粛州路は甘粛等処行中書省に属した[3]

1394年洪武27年)、により粛州衛が置かれた。粛州衛は陝西行都指揮使司に属した[4]

1724年雍正2年)、により粛州衛が廃止されて、甘州府に編入された。1729年(雍正7年)、粛州直隷州が置かれた。粛州直隷州は甘粛省に属し、高台県1県を管轄した[5]

1912年中華民国により粛州直隷州は廃止され、酒泉県と改められた。
脚注^隋書』地理志上
^旧唐書』地理志三および『新唐書』地理志四
^元史』地理志三
^明史』地理志三
^清史稿』地理志十一










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