米騒動
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この項目では、米の流通量減少や価格高騰が要因となって起こる騒動全般について説明しています。

大正時代に起こった日本の米騒動については「1918年米騒動」をご覧ください。

平成時代に起こった日本の米騒動については「1993年米騒動」をご覧ください。

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2023年9月)

米騒動(こめそうどう)は食糧騒擾(農牧産物の消費者の騒擾)の一種である。日本史で単に米騒動といった場合、狭義では1918年の米騒動を指す。
騒動の性質

ヨーロッパでは食肉暴動などもあるが、一般に穀物パン・麦粉など穀物関係の騒擾が最も多い。必需品である上に保存が効くため、買い占めて値を吊り上げるのに格好だからである。したがって米食が基本の東アジアモンスーン地帯では米騒動が主で、日本はその典型である[1]

商人の存在は都市の発生と共に古く、農畜産物を商品化する階級を掣肘する政治勢力が無い場合、食糧価格が上がるため、食糧騒擾は古代から存在した。殊に地中海世界は夏季の雨量が少ないため穀作に適せず、葡萄酒や陶磁器などの商工生産物の貿易によって黒海方面などから穀物を輸入する都市文明として栄えたが、遠路の輸入経路に乱れが生じた際に、支配的な商工階級が穀価を吊り上げるのを抑える政治勢力がいなかった。ギリシャ(殊にアテネ)やローマはその典型であったが、中世末のイタリア北半や近世初頭のフランドルもそうであった。毛織物業で栄え商工業者が支配する都市国家で穀物を輸入に依存していたからである。これらの都市国家の例を別にすれば、食糧騒擾は一般に、王権の衰える封建制末期に始まり、市民革命の前後に多い。ブルジョワジーが支配的になっているが、まだ第一次産業が中心なので投機の主要な対象が穀物になるためである。

日本の米騒動も近世後期に本格化する。農民の年貢小作料の減免を要求する百姓一揆とは基本的に異なるが、耕地が少なくて飯米を買わねばならぬ貧農は米屋をも襲うので、米騒動の性格が混在する農民騒擾も珍しくはない。
近世の米騒動

一般に食糧価格を下げることと賃金を上げることは、食糧騰貴に対し同じ効果を持つ方法なので、日本でも鉱山塩田仲仕中馬などの集団労働では賃上げ型の米騒動が(古い現物給与の習慣も相まって)見られる。加賀金沢金箔職人、信州飯田元結職人など同職者が集住するところでは、彼等の賃上げ争議が一般庶民の値下げ騒擾に合流して主導することも有った。欧州では花形産業の毛織物工場が中世末から都市内にあり、近世には炭坑も家庭燃料を供給するようになったので、労働者の賃上げ争議が食糧騒擾の一環であるという常識が早くから成立していた。しかし、日本近世は石高制だったので、藩米・扶持米の換金率が良くなるよう米価をつり上げる役を負わされた各藩の特権商人を標的とする街頭騒擾が、日本の米騒動のイメージになっていた[2]
近代の米騒動
「上からの近代化」による社会の矛盾

西欧では産業革命後に産業資本がヘゲモニーをにぎると、労働者に支払う賃金の基幹部である食糧価格を平準化する必要が発生し、農畜産物の輸入を廃止するなどで、農場主・穀物商人などの農業ブルジョワジーを抑えたため、食糧騒擾が消えていった。しかしその西欧の隆盛に対して対抗的に産業革命を移植したドイツ以東の中・東欧や南欧の国々は、市民革命抜きの「上からの近代化」を行ったため、産業資本が大規模土地所有層からの横滑りや癒着で農産物で儲けるのを止めようとしなかったため、食糧騒擾がなくならなかった。そして移植された産業革命で生まれた労働者がその食糧騒擾を主導するようになった。

当時の日本は欧米との格差が大きく、古代的天皇制まで持ち出さねばならなかった維新は、きわどい極東型の「上からの近代化」だった。そのため米騒動は無くならないばかりか、新旧2つの構造を持つに至った。特権商人が廃藩置県地租改正によって全国で一斉に消え、米の積出しが目立つ米移出地帯と歴史性の強い地域でだけ近世型の街頭騒擾が続き、他方で移植された産業革命・諸制度で生まれた工場・鉱山・都市では近代型米騒動(賃上げ騒擾・消費運動)が急速に増加していった[3]。しかし米騒動といえば近世来の思い込みで街頭型ばかりを見て近代型を見落としていたため、日本近代の米騒動はいつも北陸・東北南部など移出地帯で始まるものと誤認されていた。井上清近代史のテキストなどもそのように間違っている。事実、何か月も前から近代型米騒動は始まっていたのであり、殊に日清戦争以後はそれらの方が件数で勝り、日露戦争後には圧倒的に多かった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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