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吊るされる日本兵の首。(1945年ビルマ、アメリカ軍撮影とされる)[1][2]
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日本兵の頭部を煮るアメリカ兵(1944年)頭蓋骨は一体につき35ドルで販売されていた
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日本人の頭部で遊んでいるマクファーソン中尉。アメリカ海軍魚雷艇341の甲板にて。(1944年4月30日ニューギニア)[3]
米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断(べいぐんへいによるにほんぐんせんししゃのいたいのせつだん)は、第二次世界大戦時、太平洋戦線においてアメリカ軍兵の一部が日本軍戦死者の遺体に対して行った戦争犯罪。アメリカ軍より公式に禁止されていたと考えられているが、禁止令は戦場の兵士の間で常に遵守されていたわけではない。これらの行為がどの程度行われ、公的に認識されていたかは不明である。 太平洋戦争において連合国軍は少なからず人種差別的表現をもちいており、アメリカ合衆国においては「戦闘員と民間人の区別をつけず日本人を皆殺しにせよ」と主張する者も多かった[4]。日本兵を人間扱いせず、動物として描くこともあった[5]。アメリカ軍人向け雑誌には、海兵隊の志願兵に「日本兵狩猟許可証」を「無料の弾薬と装備と給料」で出すと宣伝した[5]。また具体的な事例として、アメリカ海軍の代表的指揮官ウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督は「ジャップを殺せ、ジャップを殺せ」をスローガンとしており、艦隊宛の通信文は「やつらを死なせ続けろ」と結ばれていた[4]。チェスター・ニミッツ提督宛の私信でも「もっと猿の肉を確保する」ための潜水艦の活動を提案した[4]。ハルゼーは新聞記者達に対して、日本を占領した暁には日本人女性全員に不妊手術を施すべきだと冗談まじりに語り、また昭和天皇の処刑もほのめかした[6]。日本側はこれらの言動を察知して、プロパガンダに利用した[7]。 ハルゼーの発言は冗談めいていたが、戦場では連合軍兵士による残虐行為が実際に行われていた。太平洋戦線に投入されたアメリカ兵のなかには、敵兵の遺体の一部を切断したり、狩猟の獲物と同じように扱い「戦争の記念品、土産」として持ち去る例があった[7]。記録に残された初期の残虐行為は、1942年(昭和17年)8月17日のギルバート諸島ブリタリ環礁(マキン島)に対するマキン奇襲作戦でおこなわれた[8]。エヴァンズ・カールソン中佐に指揮されたアメリカ海兵隊奇襲部隊のうち、次席指揮官ジェームズ・ルーズベルト少佐は、フランクリン・ルーズベルト大統領の長男であった[8]。150人ほどの日本軍守備隊を一掃した海兵隊員は、戦死した日本兵の遺体を損壊し、切断した男性器を口中に詰め込んだという[9]。マキン島を再占領した海軍陸戦隊は戦場整理の際、日本兵の遺体がズボンを脱がされていたことを不審に思ったが、腐乱が進んでいたこともあり蛮行に気付かなかった[10]。 同年9月、アメリカ軍は「遺体のコレクション」を行うことを懲戒処分の対象とするとの命令を出した[11] 。サイモン・ハリソンはこれらの行為はガダルカナル島の戦いが最初の機会であったと結論付けている。明らかに、生きていようが死んでいようが、初めて日本軍と遭遇した時、戦死者の身体の一部をコレクションすることは軍当局に懸念を抱かせる規模で行われ始めた[12]。「土産」には金歯のほか、頭蓋骨や他の人体各部が採取されることもあった[7]。収集された遺体の部位は、耳を切り取ってベルトにぶらさげる、歯でネックレスをつくる、竿に生首をたてる、戦車に頭蓋骨を取り付ける、といった具合に使用された[7]。 ペリリューの戦い、硫黄島の戦いなどで日本軍との間に死闘を展開したアメリカ海兵隊では、黄色人種に対する人種差別感情と、激戦につぐ激戦による最前線兵士の精神的疲労も重なって、日本兵の遺体損壊が日常的になっていた[13]。撃墜した日本軍機パイロットの遺体や、特攻により損傷したアメリカ海軍艦艇に残されたパイロットの遺体が「コレクション」された記録もある[14]。 大量の日本軍の戦死者の遺体は排尿や死体への射撃などで冒涜され、あるいは記念品として前述のような猟奇的行為が行われた[15]。なおこれらの猟奇行為は、敵兵に対する怒りから行われるだけでなく、モンゴロイドである日本兵に対する人種差別的感情からも行われていると批判された[注 1]。
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