米朝関係
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米朝関係



北朝鮮
アメリカ合衆国

米朝関係(べいちょうかんけい、英語: United States-North Korea Relations)では、アメリカ朝鮮半島の軍事境界線から北に位置する北朝鮮との国際関係について述べる。
概要

米朝関係は歴史的に敵対的であり、朝鮮戦争が始まる前から発展してきた。近年の関係は主に北朝鮮が行った6回の核実験・数千マイル離れた対象の攻撃を可能にする長距離弾道ミサイルの開発及び現在も続いている核兵器または通常兵器によるアメリカ[1]・韓国への攻撃の脅威によって特徴づけられる。元大統領のジョージ・W・ブッシュは、大統領在任時にその核攻撃力の脅威から、北朝鮮を「悪の枢軸」の一角であると発言した[2][3]アメリカ大統領のドナルド・トランプ(右)と朝鮮労働党委員長の金正恩(左)(第1回米朝首脳会談にて)

アメリカと北朝鮮は2018年6月の首脳会談後、正式な国交正常化に向けた作業を一部開始した。スウェーデンは北朝鮮におけるアメリカの権益を保護する利益代表国の役割を果たしている[4][5]。朝鮮戦争以後、アメリカは韓国において強力な軍事プレゼンスを維持してきた。しかしながら、アメリカは法的には韓国を朝鮮半島を代表する唯一の国家であるとみなしている。

アメリカ軍が韓国を防衛することに対するアメリカ国民の支持は着実に高まっており、1990年にはわずか26%に過ぎなかったが、現在は約2.5倍の62%が韓国防衛を支持している。2017年の時点では、アメリカ人の多くもまた韓国大統領文在寅に対して肯定的に捉えている[6]

2015年にギャラップ社が行った世論調査によると、北朝鮮を肯定的に捉えるアメリカ人はわずか9%に過ぎず、87%のアメリカ人が否定的に捉えている[7]。2014年にBBCが行った世論調査によると、北朝鮮が世界に好影響を与えていると回答したアメリカ人はわずか4%で、90%のアメリカ人が北朝鮮が世界に悪影響を与えていると答え、北朝鮮が世界において最も否定的に捉えられている国家のひとつであることを示した。

北朝鮮がかつて思われていた以上の早さで核開発計画を進めていたことが明らかになった後、2017年1月20日にドナルド・トランプが大統領に就任すると、両国間の緊張は著しく高まり、両国は互いへの激しい非難の応酬を繰り返した。非難の増幅(とトランプの北朝鮮に対するより攻撃的なアプローチ)・ミサイル実験と朝鮮半島における軍事プレゼンスの増大は核問題の思惑を一層激しくした。

大規模な衝突の恐れもあったが、2018年3月8日にホワイトハウスが金正恩からの会談の申し出を受け入れたことを確認すると、緊張は緩和し始めた。その時会談は5月に行われる予定だった[8]。2018年5月15日、北朝鮮はアメリカと韓国が軍事演習を行ったことに触れ、韓国との対話を中止し、予定していた米朝首脳会談もキャンセルすると脅迫した[9]。このキャンセルはトランプが金正恩からいつもとは違う友好的な返事を受け取ったことにより覆された。2018年6月12日、トランプと金正恩は両国の最高指導者としては史上初となる首脳会談シンガポールで行った[10]。首脳会談で2人の指導者はいくつかの対話を行うことを約束し、安全保障及び地域の安定と平和の維持を呼びかけるシンガポール共同宣言に署名した[11]
国の比較

アメリカ 北朝鮮
人口3億2472万2539万4500人2539万4500人
面積962万8000?12万540?
首都ワシントンD.C.平壌
最大都市ニューヨーク平壌
政治形態大統領制 連邦共和国主体思想 全体主義 一党独裁制 社会主義共和国
建国時の指導者ジョージ・ワシントン金日成
現在の指導者ジョー・バイデン金正恩
公用語英語 (事実上、連邦政府としては無し)朝鮮語
名目GDP18兆5500億ドル(一人当たり5万7230ドル)154億ドル (一人当たり621ドル )

歴史

主に東西冷戦時代の政治の副産物である両国間の敵意は未だに残っているが、米朝間のそうした紛争や憎しみの感情は早くからあった。19世紀中頃、李氏朝鮮西洋列強に交易の門戸を閉ざしていた。1866年に勃発したジェネラル・シャーマン号事件では、李氏朝鮮が通商条約の交渉のために送られたアメリカの武装商船の入国を拒否した後、両国が戦火を交え、朝鮮民衆の攻撃により、ジェネラル・シャーマン号の乗組員が殺害された。その後アメリカは報復を行い、1871年辛未洋擾が発生した。

米朝両国は1882年に完全な通商関係を築いた。1905年にアメリカが日露戦争の講和を仲介したとき、関係は再び悪化した。日本は朝鮮を自国の勢力下に置くことを受け入れるようアメリカに求め、5年後に併合したとき、アメリカはこれに反対しなかった。朝鮮の国家主義者たちは第一次世界大戦終結に際してアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソン民族自決の原則を提唱し、ヴェルサイユ条約を締結したパリ講和会議に赴き、アメリカに支援を嘆願したが成功しなかった。
冷戦
アメリカによる南朝鮮統治時代の関係(1945年 - 1948年)詳細は「在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁」および「連合軍軍政期 (朝鮮史)」を参照

1945年第二次世界大戦終結後、連合国は暫定措置として朝鮮半島を38°線で分断した。しかし、米ソ関係の悪化により再統一は妨げられた。在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による南朝鮮(後の韓国)統治時代、北朝鮮側の米朝関係はソ連軍事政権が主導していた。

日本による統治は終わり、ソ連軍による軍政の下、北朝鮮臨時人民委員会によって間接統治が為されたこの時代の北朝鮮はソ連による圧力のため、アメリカを公然と非難し、アメリカに対する否定的な捉え方が形成され始めた。しかし、数人のアメリカの閣僚と使節は彼らが共産主義政権によって粛清されるまではこの時代でも活動的だった。
朝鮮民主主義人民共和国の成立から朝鮮戦争までの関係

1948年8月15日の韓国大統領李承晩による大韓民国建国後、同1948年9月9日北朝鮮首相金日成は朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。彼はソ連の承認をとりつけたがアメリカからは承認を得られなかった。アメリカは北朝鮮を外交的に承認せず、現在もなお承認していない。

1948年以後金日成によりアメリカは日本帝国主義の後継者であると主張する今でも使われている反米のレトリックが激しく唱えられ、朝鮮半島から多くのアメリカ軍が撤退した。1950年にアメリカは北朝鮮に対して1917年の対敵国貿易法を適用して経済制裁を科し[12]、2008年まで続けられた[13]
朝鮮戦争期(1950年6月25日から1953年7月27日)1950年9月に朝鮮戦争期にソウルで撮影されたアメリカのM26パーシング戦車と北朝鮮軍の捕虜詳細は「朝鮮戦争」および「朝鮮戦争休戦協定」を参照


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