米印原子力協力(べいいんげんしりょくきょうりょく)または印米原子力協力(いんべいげんしりょくきょうりょく)は、インドとアメリカ合衆国の二国間での民生用原子力協力である。二国間での原子力協力協定は、2007年7月に妥結された。引き換えにインド側は、核実験の一方的なモラトリアムの継続と、核拡散を制限する国際的努力への支持を約束した。
2008年に、「原子力供給国グループ(NSG)ガイドライン」が修正され、インドに対する核関連品目の供給が認められた。2008年8月、国際原子力機関IAEA理事会はインドとの間での保障措置協定を承認。この年、アメリカ合衆国議会で下院、上院共に承認する法案を可決した。その後、インド政府は、フランス、ロシア、カザフスタン、イギリス、カナダなどの国々とも相次いで協定を結んだ。 核拡散防止条約(NPT)、包括的核実験禁止条約に未締約国のインドは、1974年と1998年に核実験を行った。インドは、世界の核不拡散体制の枠外の第6の核保有国として、独自の核開発を続けてきた。 これに対して国際社会は、国際連合安全保障理事会決議、国際原子力機関、原子力供給国グループにより、原子力に関する貿易制限(禁止措置)を課してきた。このため、原子力発電の燃料となる天然ウランの生産量が少ないインドでは、原子力発電の発電量は、低迷していた。 1991年に開始されたインドの経済自由化は、2000年以降、高い経済成長を記録した。巨大な人口と広大な国土は、世界で注目の市場となり工場となり、新興国として浮上した。 大都市での停電、未給電地域も多く、電力不足は深刻な問題となっていた。インドにおいて、電力不足解消のためには、原子力発電への移行が重要であり、そのためには技術と燃料の確保、つまり国際的な貿易制裁を解除が必要とされた。 経済成長を続けるインドに注目したアメリカは、それまでの核不拡散政策を転換して、インドへの民生用原子力協力を認めた。つまり、NPT枠外というインドへの「特例」扱いとして、核保有を認め原子力協力を確約した。引き換えにインドが核実験を行った場合には協力は終了すると述べている。この合意は、2005年7月に首相就任後に初訪米したマンモーハン・シン首相が、ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領と会談、共同声明にて発表された。さらに、2006年3月訪印したブッシュ大統領は、シン首相との会談において、協力の細部内容について合意した。 合意の内容は、インドが自ら22の原子力・核関連施設を、民生用と軍事用に区分し、民生用と区分した施設のみIAEAの保障措置(査察 米国原子力法 アメリカとインドは原子力協力協定案の内容を2007年7月に妥結。インドは直ちに内閣において承認し、2008年、アメリカ合衆国議会で下院、上院共に承認する法案を可決した。その後、インド政府は、フランス、ロシア、カザフスタン、イギリス、カナダなどの国々とも相次いで協定を結んだ。 シン連立政権が進めるアメリカとの原子力協力について、自主的な核開発と外交を束縛し、アメリカに従属することとなるとして、シン政権に閣外協力するインド共産党マルクス主義派を中心とする左翼戦線が強く反対した。このため、インドに特化したIAEAとの保障措置協定案は、2008年3月に妥結していながら、IAEA理事会の正式議題とすることは延期されてきた。しかし2008年7月の北海道における第34回主要国首脳会議に際しての首脳会談を前に、シン首相がIAEAへの提案を決定した。左翼戦線は、政権を離脱し、シン政権は少数与党に転落、連邦議会下院において信任決議案が採決されたが、社会党などが賛成に回り、7月22日にシン政権は信任された。 2008年8月1日、国際原子力機関IAEA理事会はインドとの間での保障措置協定を承認。 アメリカでは、近年台頭する中華人民共和国との力の均衡策として、インドを重視するとの意見が強い。また、インドとの関係緊密化による経済関係の強化、さらには原子力市場への参入も狙う。これまでNPT体制の枠外にいたインドを、一応は国際的な核不拡散体制のなかに引き込むとして、核不拡散体制の強化との声もあり、IAEAのモハメド・エルバラダイ事務局長もこの論から賛成を表明している。さらにインドが、核不拡散に協力しており、地球環境問題からも原子力発電利用が有効とする。NPTによる核不拡散体制は、すでに空洞化しており、今更に維持を求めるのは現実的ではないとする。 NPTを無視してきたインドを、「核保有国」として認め、NPTを中心として維持されてきた核不拡散体制をさらに空洞化するとの批判から、反対論も根強い。インドの軍事用核施設がIAEAの査察を受けないことを認めることは、核兵器増産となり核戦争の危機を深めるとする。そして、まずインドがNPTやCTBTを締約し、その後に原子力協力を行うよう主張する。 IAEA理事会では、数時間の審議で承認された。しかし、「NSGガイドライン」により国際的な原子力・核関連の貿易を規制するため、45ヶ国が加盟するNSGは、全会一致制をとる。法的拘束力のない紳士協定であるが、これまで一定の役割を果たしてきた。 2008年に「原子力供給国グループ(NSG)ガイドライン」が修正され、インドに対する核関連品目の供給が認められた[1]。 中国共産党中央委員会の機関紙人民日報は米印原子力協力を激しく批判したが、一方で中国はパキスタンに資金と技術を援助し、同国最大規模原子力発電所を建設している[2]。 パキスタンは、核関連物資・技術の輸出管理を行う原子力供給国グループ(NSG)の承認を受けておらず[3]、過去にパキスタンのアブドゥル・カディール・カーン博士が中心となって構築していたネットワーク「核の闇市場」を通じて核技術を北朝鮮に拡散させた事があるため、テロリストへの核拡散への不安と懸念が高まっている。
目次
1 経過
1.1 核不拡散体制の枠外にあるインド
1.2 経済自由化と電力インフラ不足
2 二国間での協力合意
2.1 ハイド法
2.2 二国間での原子力協力協定案(123協定案)の妥結
3 インド連立与党内の反発
4 IAEA理事会の承認
5 国際的反響
5.1 賛成論
5.2 反対論
5.3 NSGと国際情勢
6 中国とパキスタンの対応
7 日本の対応
8 出典
9 外部リンク
経過
核不拡散体制の枠外にあるインド
経済自由化と電力インフラ不足
二国間での協力合意
ハイド法
二国間での原子力協力協定案(123協定案)の妥結
インド連立与党内の反発
IAEA理事会の承認
国際的反響
賛成論
反対論
NSGと国際情勢
中国とパキスタンの対応
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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