篠田節子
[Wikipedia|▼Menu]

.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}篠田 節子(しのだ せつこ)
誕生 (1955-10-23)
1955年10月23日(68歳)
日本東京都
職業小説家
言語日本語
国籍 日本
教育学士
最終学歴東京学芸大学教育学部
活動期間1990年 -
ジャンルホラー小説
SF
推理小説
代表作『女たちのジハード』(1997年)
主な受賞歴小説すばる新人賞(1990年)
山本周五郎賞(1997年)
直木三十五賞(1997年)
柴田錬三郎賞(2009年)
中央公論文芸賞(2015年)
吉川英治文学賞(2019年)
デビュー作『絹の変容』(1991年)
配偶者あり
子供なし
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

篠田 節子(しのだ せつこ、1955年10月23日 -)は、日本小説家ホラー作家SF作家推理作家
経歴・人物

東京都生まれ。八王子の典型的な商業地区で育つ[1]。実家は戦前、大きな機屋を営んでいた[2]。一人っ子で[2]、小学生時代に冒険小説SFコナン・ドイルの『失われた世界』に夢中になり、中学生時代には、『コンチキ号漂流記』や『沈黙の世界』など自然科学系のノンフィクションを中心に、中尾明『黒の放射線』などに読み耽ったという。

東京都立富士森高等学校東京学芸大学教育学部卒業後、八王子市役所に勤務する[1][3]。(教育実習に2回行って小学校教諭に向いていないと感じ、裁判所調査官試験を受けるも失敗し、市役所職員となった[2]。)

26歳のときに仕事関係の勉強会で知り合った4歳上の夫(都庁職員)と結婚[2]し、妊娠するも流産し[4]、子供はいない[5]。市役所の勤務年数は10年以上にもおよび、福祉、教育、保健(健康管理)など様々な部署に異動、配属された[3]。市立図書館の立ち上げにも携わり、図書館には5年10か月勤務したが、キャリアアップや転職志向が強く、心ここにあらず状態で「困った職員だった」と本人はインタビューで振り返っている[3]

30歳の時、朝日カルチャーセンターの小説執筆講座に通い[1][3]、直木賞作家多岐川恭の指導を受ける[1]。多岐川の退職に伴い一時通うのをやめるが、32歳の時に再び講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説教室に通い始め、山村正夫から小説の手ほどきを受ける[1]。同じ講座の受講生に、鈴木輝一郎宮部みゆきがいる[6]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:140 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef