篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日 - 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の文学研究者・文芸評論家・翻訳家[1]。 岐阜県出身。旧制岐阜中学から旧制松江高等学校へ進み、1948年東京帝国大学文学部英文科入学、1951年卒業、高校教諭を経て、1955年東京都立商科短期大学専任講師、1957年東京都立大学 (1949-2011)英文科専任講師、1960年助教授、1973年教授。 松江高校時代に駒田信二から新しい文学状況に関しての知見を得て、当時刊行され間もないマチネ・ポエティク運動の加藤周一・中村真一郎・福永武彦共著『1946・文学的考察』(後年刊の冨山房百科文庫版で解説を担当)に出会い、近代日本の私小説的風土を克服する、国際的な文学のありかたに関心をもつ。1952年、同期の丸谷才一、中山公男[2]と3人で季刊同人雑誌『秩序』を創刊[1]。のち菅野昭正も加わる。 1950年代後半から評論活動をはじめ、鉢の木会の同人季刊誌「聲」でイギリス文学を担当ほか、欧米世界の新しい“20世紀小説”とよばれる作品の紹介評論に力を注いだ。ボルヘスなど主にスペイン文学から派生するラテンアメリカ文学の紹介にも先鞭をつけた。各社の「世界文学全集」版で、編集委員などで広く企画に関わった。川村二郎や清水徹ら外国文学者出身の文芸評論家とは、企画出版を含め終生交流があった。 音楽に関して専門的知識と見識を有しており、幾つかの翻訳、雑誌記事(レコード評論など)執筆、対談などの実績がある。リヒャルト・ワーグナーから近代英国音楽までを広く論じた。 近現代日本文学の面では、詩と小説との広いジャンルにわたり発言し、横光利一や幸田露伴[3] 、斎藤緑雨らの再評価を促した。また中原中也の評価をめぐって、大岡昇平と論争したこともあった。その評論集に付けられた詳細な脚注・索引がその博大な文学的教養の証しである。 長年持病の高血圧に悩まされていたが、1989年4月に妻の綾子(東大英文科の同級生で翻訳家)がアメリカ旅行中に自宅マンションの洗面所で倒れそのまま急死した。子息の篠田徹は社会学者(早稲田大学教授)である。
来歴・人物
著書
単著
『邯鄲にて 現代ヨーロッパ文学論』[4]弘文堂<現代芸術論叢書>、1959、新版1970/小沢書店、1986
『現代イギリス文学』垂水書房、1962、新版1965/小沢書店(新編)、1991
『伝統と文学』筑摩書房、1964/筑摩叢書、1986 - 正式には「傳統と文學」
『詩的言語』晶文社<晶文選書>、1968/小沢書店、1985
『作品について』筑摩書房、1971
『日本の近代小説』集英社、1973
『続 日本の近代小説』集英社、1975
新編『日本の近代小説』集英社、1988。正+続、付・著作目録
『音楽の合間に』音楽之友社、1978
『音楽に誘われて』集英社、1978
『読書の楽しみ』構想社、1979
『日本の現代小説』集英社、1980
『吉田健一論』筑摩書房、1981
『ヨーロッパの批評言語』晶文社、1981
『現代詩髄脳』集英社、1982
『バンドゥシアの泉』小沢書店、1982
『世界文学「食」紀行』朝日新聞社、1983/講談社文芸文庫、2009
『グルメのための文芸読本』朝日文庫、1986