篠原孝
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バスケットボール選手の「篠原隆史」とは別人です。

日本政治家篠原 孝しのはら たかし
2011年11月5日、TPP交渉参加に反対する街頭演説会にて
生年月日 (1948-07-17) 1948年7月17日(75歳)
出生地 日本 長野県中野市
出身校京都大学
前職国家公務員農林水産省
所属政党(民主党→)
民進党大畠グループ)→)
旧国民民主党 / 新政信州→)
立憲民主党
称号法学士(京都大学)
博士(農学)(京都大学)
公式サイト ⇒しのはら孝blog
衆議院議員
選挙区(比例北陸信越ブロック→)
長野1区→)
比例北陸信越ブロック
当選回数7回
在任期間2003年11月9日 - 現職
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篠原 孝(しのはら たかし、1948年7月17日 - )は、日本農水官僚政治家学位博士(農学)京都大学2001年)。立憲民主党所属の衆議院議員(7期)。

農林水産省経済局統計情報部管理課課長農林水産技術会議事務局研究総務官、農業総合研究所企画連絡室研究調整官、農業総合研究所所長、農林水産政策研究所所長)、農林水産副大臣民進党選挙対策委員長、衆議院懲罰委員長立憲民主党幹事長代行などを歴任した。
概要

京都大学法学部卒業後、農林省に入省し、その後継組織である農林水産省にて経済局統計情報部管理課課長などを歴任した。農林水産省の特別の機関である農林水産技術会議では、事務局研究総務官を務めた。農業総合研究所では企画連絡室研究調整官を経て所長に就任し、農林水産政策研究所でも所長に就任した。2003年第43回衆議院議員総選挙にて当選を果たし、政治家に転身した。菅直人内閣菅直人第1次改造内閣菅直人第2次改造内閣にて農林水産副大臣を務めた。
来歴
生い立ち

長野県中野市田麦生まれ[1]。中野市立長丘小学校(2020年に統廃合)、中野市立中野平中学校長野県長野高等学校卒業。1973年3月、京都大学法学部卒業。同年4月、農林省に入省(農林経済局統計情報部管理課・企画情報課)[2]
官僚として

本省勤務の他、経済協力開発機構 (OECD) 日本政府代表部参事官、農水省農林水産政策研究所所長を経て、退官。農水官僚時代はフードマイレージの概念を提唱した[3]
政治家として農林水産副大臣就任に際して公表された肖像写真

2003年第43回衆議院議員総選挙民主党公認で長野1区から出馬。長野1区では自由民主党公認の小坂憲次に僅差で敗れたが、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活し、初当選した。当選後、衆議院予算委員会に所属し、BSE問題について首相小泉純一郎農林水産大臣武部勤に対して質疑を行った[要出典]。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、長野1区で再び小坂に敗れたが、比例北陸信越ブロックで復活し、再選。2006年9月より、民主党次の内閣でネクスト農林水産大臣を務め、農家への戸別所得補償制度の立案に携わる[要出典]。2009年第45回衆議院議員総選挙では、長野1区で小坂を破り、初めて選挙区で当選した。

2010年菅直人内閣農林水産副大臣に任命され、菅直人第2次改造内閣まで務める。2011年9月の民主党代表選挙では、現職の農林水産大臣であった鹿野道彦を支持し、代表選出馬に際して鹿野が旗揚げした素交会の結成に参加[要出典](鹿野は野田佳彦らに敗れ、1回目の投票で4位に終わった)。野田内閣発足に伴い農林水産副大臣を退任し、民主党副幹事長に就任[要出典]。

2012年消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決で、党の賛成方針に反して棄権した[4][5]。民主党は7月3日の常任幹事会で厳重注意処分とする方針を決定し[6][7][8][9][10]、7月9日の常任幹事会で正式決定した[11][12][13]

同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙には民主党公認、国民新党推薦で出馬。与党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、長野1区で自民党新人の小松裕日本維新の会新人の宮沢隆仁を下し、4選。同年12月25日に行われた民主党代表選挙では海江田万里の推薦人に名を連ねた[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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