篠原一男
生誕1925年4月2日
静岡県
死没 (2006-07-15) 2006年7月15日(81歳没)
神奈川県川崎市
国籍 日本
出身校東京理科大学
東北大学
東京工業大学
職業建築家
受賞日本建築学会賞作品賞(1971年)
芸術選奨文部大臣賞(1989年)
紫綬褒章(1990年)
勲三等旭日中綬章(2000年)
日本建築学会賞大賞(2005年)
所属篠原一男アトリエ
建築物から傘の家
白の家
未完の家
上原通りの住宅
ハウス イン ヨコハマ
東京工業大学百年記念館
篠原 一男(しのはら かずお、1925年4月2日 - 2006年7月15日)は、日本の建築家。 静岡県生まれ。1947年東京物理学校卒業後、東北大学で数学を専攻。建築に転向し東京工業大学建築学科で清家清に師事。1953年卒業後、1986年定年退官に至るまで東工大の教壇に立ち、プロフェッサーアキテクトとして、住宅を中心とする前衛的な建築作品を一貫して手がけた。磯崎新と並んでメタボリズム後の日本建築界のリーダーと目され、特に1970年代以降の住宅建築デザインに多大な影響を与えている[1][2]。坂本一成、白澤宏規、長谷川逸子、葛西潔
来歴
竣工年作品所在地備考
1954年久我山の家東京都杉並区
1958年久我山の家 その2東京都杉並区
谷川さんの家東京都杉並区
1960年狛江の家東京都狛江市
茅ヶ崎の家神奈川県茅ケ崎市
1961年から傘の家東京都練馬区
大屋根の家東京都大田区現存せず
城山の家福島県いわき市平
1963年土間の家長野県御代田町
1965年花山北の家神戸市長田区
1966年朝倉さんの家東京都渋谷区
白の家東京都杉並区
地の家東京都練馬区
1967年山城さんの家横浜市磯子区
1968年花山南の家神戸市長田区
鈴庄さんの家神奈川県葉山町現存せず
1970年未完の家東京都杉並区
篠さんの家東京都練馬区
1971年直方体の森 (現 中村正義の美術館)川崎市多摩区
同相の谷東京都大田区
海の階段東京都練馬区
空の矩形東京都世田谷区
1972年久ヶ原の住宅東京都大田区
1973年東玉川の住宅東京都世田谷区
成城の住宅東京都世田谷区
1974年直角3角柱山梨県山中湖村
谷川さんの住宅群馬県長野原町
1975年軽井沢旧道の住宅長野県軽井沢町
1976年糸島の住宅福岡県糸島郡志摩町
上原通りの住宅東京都渋谷区
1977年花山第3の住宅兵庫県神戸市
愛鷹裾野の住宅静岡県沼津市
1978年上原曲がり道の住宅東京都渋谷区
1980年花山第4の住宅兵庫県神戸市
1981年高圧線下の住宅東京都世田谷区
1982年日本浮世絵博物館長野県松本市
東玉川コンプレックス東京都世田谷区
1984年ハウス イン ヨコハマ横浜市港北区現存せず
1987年東京工業大学百年記念館東京都目黒区
1988年ハネギコンプレックス東京都世田谷区現存せず
テンメイハウス横浜市鶴見区
花山の病院神戸市長田区
1990年K2ビルディング大阪市都島区
熊本北警察署(2017年10月より熊本中央警察署)熊本市中央区
受賞
1972年 - 日本建築学会賞(「未完の家」以降の一連の住宅)
1989年 - 芸術選奨文部大臣賞
1990年 - 紫綬褒章
1997年 - 毎日芸術賞特別賞
2000年 - 勲三等旭日中綬章[3]
2005年 - 日本建築学会大賞
2010年 - ヴェネツィア・ビエンナーレ特別記念金獅子賞(没後)
著書
『住宅建築』(1964年)
『住宅論』(1970年)
『続住宅論』(1975年)
『篠原一男』(1996年)