篠原ともえ
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篠原もえ」とは別人です。

篠原ともえ
2018年
基本情報
生誕 (1979-03-29) 1979年3月29日(45歳)
出身地 日本 東京都青梅市
学歴文化女子大学短期大学部 服装学科ファッションクリエイティブコースデザイン専攻卒
職業歌手デザイナー
活動期間1995年 -
配偶者池澤樹
事務所株式会社STUDEO
公式サイトTOMOE SHINOHARA - STUDEO

篠原 ともえ (しのはら ともえ、1979年昭和54年〉3月29日 - )は、日本ファッションデザイナー、アーティスト、歌手AB型

1990年代後半に歌手デビューし、原色を基本としたオリジナリティあふれるファッションで、「シノラー」ブームを巻き起こした。2020年、夫であるアートディレクターの池澤樹とクリエイティブスタジオ、株式会社「STUDEO」(ストゥディオ)を設立。
略歴
生い立ち

10歳の頃からデザインに興味を持ち、人形の服や小物を自作するようになる。幼少時は大人しい性格だったが、小学4年の時にバレエを始めたのを機に明るい性格に変わる。

中学1年の時に軽音楽部でバンドを始め[注 1](ギター兼ボーカル担当)、中学3年の夏休みにソニー歌手オーディションに合格し、新人開発部に所属。デビューに向けてボイストレーニングのレッスンを受ける。

1994年4月、絵を描くことが好きという思いから、東京都立八王子工業高等学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科に進学し創作活動を始める。部活動では天文部に所属していた。
歌手デビュー

1995年春、ソニーのラジカセ「Dr.CHANGER」のCMの企画を持ってきたディレクターに見出され、石野卓球[注 2]プロデュースにより同年7月1日に「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」でデビュー。

1996年、フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』でのダウンタウンへの機転の利いた傍若無人ぶりや[注 3]レギュラー出演の『LOVE LOVE あいしてる』ゲストの楽屋襲撃コーナー「篠原ともえのプリプリプリティ!!」ハイテンションなキャラクターで人気を得ると、数々のバラエティ番組に出演。

『LOVE LOVE あいしてる』で共演した吉田拓郎から、自身でスタイリングを手掛けていたシノラーファッションを見て「お前デザイナーになれ」とファッションデザイナーへの夢を後押しされた[1]

1997年3月1日石野卓球プロデュースによる最後のシングル「ウルトラリラックス」を発表[注 4]。この年に東京都立八王子工業高等学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科を卒業。高校の推薦により戸板女子短期大学・被服科に進学するが、ファッションのより専門的な裁縫技術を学ぶため翌年に文化女子大学短期大学部・服装学科を一般受験で編入し直した[注 5]

同年4-6月、ドラマ『FiVE』で連続ドラマ初出演。同年8月には映画『デボラがライバル』で銀幕デビュー。

1998年、初のバラードシングル「ココロノウサギ」を発表。エステティックサロン・たかの友梨のTVCMとして本人も出演している[注 6]。前年からCMで共演していたユースケ・サンタマリアとのユニット「カロゴンズ」として2枚のシングルを発表。同年8月発表のアルバム『MEGAPHONE SPEAKS』からはセルフ・プロデュースのもと、作曲・編曲を始める。

1999年、20歳の誕生日記念の日本武道館ライブでは一階アリーナ席をステージにし、全衣装のデザインを手掛け「篠原ともえお誕生日会 IN しのドーム」と題し無料ライブを行った[注 7]
2000年代

2000年1月、ファッションショー「しのコレ?21世紀に作る21歳の篠原ともえがデザインする21体の服?」を在学中の大学にて開催[注 8]。同年10月に作詞・作曲・衣装デザインを手掛けたミュージカル『天使からの招待状』で初舞台。

2001年3月、文化女子大学短期大学部・服装学科を卒業。同年ミュージカル「ありがとうサボテン先生」では出演・自身初のコスチュームデザイナーとして参加した。以後、表現の場を舞台・ミュージカルへと転身させてゆく。2002年、初めてのストレートプレイ舞台・第九回竹中直人の会『月光のつゝしみ』に出演[2]

2004年から2008年までキッズステーションの教育番組『モンすたージオ』で歌のお姉さんとして出演の他、本人のコスチューム製作を担当し本人作詞・作曲による楽曲提供も行う。

2005年、アニメ『こどものおもちゃ』がフランスのテレビ局でも放送され、篠原が歌っていた後期OP曲「ウルトラリラックス」にも注目が集まり、クラブで頻繁にプレイされるなどヨーロッパで注目を集める。そのため、篠原は2005年11月、2006年3月・6月に渡仏、パリでライブを行なっている。

2004年、2006年アストリッド・リンドグレーンの童話『長くつ下のピッピ』原作のミュージカル『ピッピ』の主演を務め、ミュージカル『ブラッドブラザーズ』(リンダ役)、音楽劇『ファウスト』(マルガレーテ役)、白井晃演出『三文オペラ』(ポリー役)など、様々な作品のヒロインとして抜擢された。2008年には イッセー尾形の舞台『びーめん生活』に出演。同年蜷川幸雄演出『表裏源内蛙合戦』では妖艶な花魁を演じた。

2009年、布一面に描いたイラストをその場でカットして即興の服を作るイベントを主催[注 9]。また同年からはNHK教育の幼児番組『みいつけた!』においてレグ役を務め、2010年からは『みいつけた!さん』にも出演、『レグ・レグ・アイドル』や『フルーツバスケット』を歌っている。
2010年代

2010年、「篠原ともえデビュー15周年記念ライブ ULTRA RELAX DAY 2010」をリキッドルームにて開催[注 10]。東京都青ヶ島にて無料ライブと本人による解説の星空観望会も開催。この縁で東京都青ヶ島村の公式サイトには本人による星空解説がリンクされている。同年、学生時代に多忙のため取得できなかった色彩検定・カラーコーディネーター検定などを受け合格。

2011年、NYジャパンソサイティ主催の特設ステージにてバンドヒカシューと共にニューヨークでのライブに出演[注 11]。この年、自身初のロックフェス『ライジング・サン・ロックフェスティバル』に出演し、同夏、デビュー時まで在住した東京都青梅市でのライブを開催し、衣裳製作・総合演出も手がけた[注 12]

2012年、10代の頃から自宅で製作・録音していた楽曲を、作詞、作曲、プログラミング、アートワーク、イラストデザイン、衣裳製作を手がけ完全プロデュースアルバムとして2作リリース。CD発売記念ライブではアンプラグド編成による芝居仕立てのライブを行なう。また同年からはエフエム東京で『東京まちかど天文台』のメインパーソナリティーを務めている。

2013年、松任谷正隆のラジオ出演をきっかけに松任谷由実のコンサート『POP CLASSICO』の衣装デザイナーに抜擢。全6着の衣装と共に全メンバーのスタイリング等も手がけた[3]

2014年1月に、天文の普及活動による「宙(そら)ガール」の活動が認められ、「小惑星Shinohara」(14555)が国際天文学連合で学術名として正式登録された[4]。同年には、内閣官房知的財産戦略推進事務局 の「CJムーブメント推進会議?クールジャパンをデザインする?」の第二期メンバーに選定された。[5]

2015年、デビュー20周年を記念し、『篠原ともえ&シノラー展』と題しこれまでデザインしたライブ衣装やグッズ150点以上を展示した個展を開催[6]。同年、宮城県で公演されたコンサート「ARASHI BLAST in Miyagi」から衣装デザインチームに参加。

2016年3月13日、初代の青梅市親善大使に任命され[7] 公式キャラクター「ゆめうめちゃん」をデザイン。

2017年には鳥取県の観光PR「星取県」のプロジェクトのシンボルマークをデザイン。「星取県スター大使」にも就任した[8]。同年、東京都水道局ペットボトル『東京水』では新デザインのアドバイザーとして参加。

2018年、アッシュペーフランス主催のファッションとデザインの合同展示会「rooms EXPERIENCE 37」にて、幼少期から描いた約150枚のデッサンを初公開した[9]。翌年、空間のアートディレクターを担当した池澤樹と結婚[10][11]

2019年、母校のオープンカレッジに再び通う[12]
2020年代

2020年、アートディレクターの池澤樹とクリエイティブスタジオ株式会社「STUDEO」を設立。

2021年、日本タンナーズ協会からオファーを受けデザイン・ディレクションした革アクセサリーが国際的な広告賞ニューヨークADC賞「The ADC Annual Awards」にて、ファッションカテゴリーにおけるトラディショナル・アクセサリー、イノベーションの2部門でメリット賞を受賞[13]

2022年、大阪市新今宮駅前にオープンするホテル「OMO7大阪 by 星野リゾート」のスタッフ用ユニホームのデザインおよび製作監修を手掛ける[14]。同年、デザインを手掛けた革の着物の作品“ザ レザー スクラップ キモノ(THE LEATHER SCRAP KIMONO)”が第101回ニューヨークADC賞でシルバーキューブとブロンズキューブの2冠を達成[15]

2024年、イギリス・ロンドンにあるサマセット・ハウスのエンバンクメント・ギャラリーにて開催された「CUTE」展にて、90年代に本人がデザイン・着用していたシノラーファッションの衣装やアクセサリーが、ポップカルチャーを紹介する一角に展観された。
人物
シノラー

1996年夏から1999年頃にかけて、個性的な篠原のファッションを模倣するティーンエイジャーの女性が数多く現れ、一種のファッションリーダーと化した。「シノラー」と呼ばれるファンを多く抱え、子供や女の子だけにとどまらず男女・年齢問わず男シノラーや親父シノラーが登場するなど社会現象となる。この流行に疎く、これを正確に捉えることができなかったメディアの誤用により、シノラーという言葉が篠原自身の愛称として使用されるようになった。篠原本人のポーズや「クルクル!」「プリプリ!」等、ファッション以外にも言動もシノラー要素となる。シノラー初期は篠原自身が衣裳を制作していたが、スタイリストがついてからは篠原がデザイン画を描くことでオリジナル性のある衣裳を作っていた。
シノラーファッション

シノラーファッションの構成要素は、お団子頭とぱっつん前髪、原色の服(初期はSUPER LOVERS)、ハーフパンツにサスペンダー、くしゃくしゃ靴下にごつごつとした靴(初期はドクターマーチン)、顔に星などのシールを貼り、100円ショップで売っているキラキラしているアクセサリー、なわとびで作った腕輪と目玉指輪、縁日露店で売っている腕パッチン(篠原曰く「ミラクル・パッチン」)と腕時計を二つ、動物キャラクターなどのポシェットをつけ、髪にはモールや、ウサギ帽子などを被り、羽を付けたランドセルなど。原色を多用しランダムに身に付ける。メイクは黒髪、ナチュラルな太眉であるのも特徴。その後パンクスタイルのパンクシノラーや子供服をアレンジしたチャイルドシノラー等、様々なアレンジもされている。トレードマークのお団子頭は事務所に所属する前に「自分が一番伝わるスタイル」と自分で考え出したもの[16] で、前髪パッツンは切ると気合が入るから[17]
シノラーグッズ

シノラーグッズは篠原本人がデザインをしたもので「シノラー人形」やビニール素材のダッコちゃん人形風の「しのタコ」といった商品もライブ会場で発売された。「シノラー人形」は初期のシノラーバージョンと、後期のうさぎシノラーバージョンの二種類があり、フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』の出演の際には松本人志にプレゼントしたシノラー人形を投げられている。「しのタコ」は類似コピーされたものが縁日等でも売られ天才バカボンとシノラーを組み合わせた「シノラボン」等のグッズも当時、販売されていた。
シノラーものまね

フジテレビ笑っていいとも!』のコーナーテレフォンショッキング出演時には「全国シノラー選手権」が開催され、全国からシノラーファッションの若者から大人が集まり、グランプリの男シノラーには篠原本人から腕輪を授与された。フジテレビクイズ番組『カルトQ』ではシノラーが題材となり、全国から参加した若者がシノラーの知識を競い合った。お笑い芸人がしばしばネタにすることもあり、1996年12月24日放送回の『第19回笑っていいとも!クリスマスイブ特大号』ではナインティナイン矢部浩之がものまねを披露。2000年10月3日放送回フジテレビ『ものまね王座決定戦』ではダチョウ倶楽部がものまねしており、2011年11月24日放送の『アメトーーク』「泥の97年デビュー組芸人」の回ではレイザーラモンRGが番組エンディングシーンにシノラーファッションで登場し、2012年2月23日放送『ゴッドタン』「第9回芸人マジ歌選手権SP」では森三中大島美幸黒沢かずこが「サーブスブランド」としてオリジナル曲「ふるふるフルパワー」をシノラーファッションで披露している。


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