築城飛行場
Tsuiki airfield
築城飛行場の空中写真(2013年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
方向 長さ×幅 (m) 表面
07/25 2,399×46 コンクリート
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RJFZ 築城基地の位置築城基地付近の空中写真。(1974年撮影の3枚を合成作成)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
築城基地(ついききち、JASDF Tsuiki Airbase)は、福岡県築上郡築上町大字西八田に所在する、第8航空団等が配置されている航空自衛隊の基地である。築城飛行場とも呼ぶ。基地の敷地は行橋市大字松原、京都郡みやこ町呰見(あざみ)の1市2町にまたがっているが、正式な住所は築上町大字西八田となっている。滑走路は西南西から東北東に向かって延び、一部が瀬戸内海西端の周防灘に約300m突き出している。南端を日豊本線、北端を音無川が走る。並行して旧滑走路が現存している。これとは別に、高射隊・施設隊が1.5km程離れた京都郡みやこ町に豊津地区を設置している。
基地司令は、第8航空団司令が兼務する。また2008年3月から、北九州空港と山口宇部空港の管制業務の大半を請け負っている。また、小月航空基地のターミナル管制業務を担当する。
在日米軍の再編に伴う、アメリカ軍普天間基地の「有事展開拠点機能」の移設先の一つであり、滑走路を普天間基地と同じ2,700mにすることが計画されている[1]。
沿革
1942年(昭和17年)10月1日 - 大日本帝国海軍が藤田組の協力を得て建設。大日本帝国海軍航空隊築城飛行場となる。
1945年(昭和20年)
3月18日 - 神風特別攻撃隊菊水銀河隊(高速陸上爆撃機「銀河」)出撃。
8月7日 - 米軍の空襲を受ける。
8月9日 -長崎へ向かう原爆搭載のB-29(ボックスカー)に対し零戦10機を緊急発進させる。
9月 - 米軍が接収する。
1955年(昭和30年)
1月20日 - 臨時築城派遣隊が編成、T-33練習機・5機で操縦訓練を開始。
5月1日 - 戦後日本初のジェット機パイロットが誕生
10月12日 - MSA協定により、F-86戦闘機・7機が配備。
1956年(昭和31年)
2月 - F-86戦闘機を使用し、第1期戦闘機高等教育が開始。
3月1日 - 空自パイロットによるF-86初飛行、式典が行われる。
1957年(昭和32年)
7月1日 - 米軍から返還。
10月1日 - 「航空自衛隊築城基地」設置。臨時築城派遣隊を第3操縦学校に改称[2]。
1959年(昭和34年)6月1日 - 第3操縦学校が第16飛行教育団に改称。
1964年(昭和39年)
2月1日 - 第10飛行隊が新田原基地から移動。
10月26日 - 第6飛行隊が新田原基地から移動。第16飛行教育団が廃止、臨時築城航空隊が編成。
12月28日 - 臨時航空隊が廃止、第8航空団編成。当時は第6飛行隊・第10飛行隊(共に使用機種はF-86F)
1968年 - 第8航空団、航空大事故ゼロ記録開始
1977年(昭和52年)
4月1日 - 第10飛行隊廃止。
8月1日 - 第304飛行隊新編(使用機種はF-4EJ戦闘機)
1980年(昭和55年)3月 - 第6飛行隊にF-1支援戦闘機が配備。
1981年(昭和56年)
2月28日 - 第6飛行隊、使用機種をF-1支援戦闘機に更新(同隊は最後のF-86飛行隊でもあった)