築地本願寺
[Wikipedia|▼Menu]

築地本願寺


本堂(正面全景)
所在地東京都中央区築地三丁目15番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分59.3秒 東経139度46分20.3秒 / 北緯35.666472度 東経139.772306度 / 35.666472; 139.772306座標: 北緯35度39分59.3秒 東経139度46分20.3秒 / 北緯35.666472度 東経139.772306度 / 35.666472; 139.772306
宗派浄土真宗本願寺派
本尊阿弥陀如来
創建年元和3年(1617年
開基准如
正式名浄土真宗本願寺派 築地本願寺
文化財本堂(重要文化財)
法人番号5010005000304
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
テンプレートを表示
本堂内部インフォメーションセンター合同墓陸上交通殉難者追悼の碑

築地本願寺(つきじほんがんじ)は、東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派寺院。東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の直轄寺院である。本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像。

住職門主大谷光淳が兼ねる。事務執行機関として宗務長(旧:輪番)1人、副宗務長2人で構成される。初代宗務長は浄土真宗本願寺派前総長(当時)の不二川公勝。2010年代半ばより2022年まで宗務長を務めた安永雄彦(雄玄)によりデジタル化や境内再整備をはじめ、大規模な改革が行われた。
歴史

築地本願寺は江戸時代1617年に、西本願寺の別院として浅草御門南の横山町(現在の日本橋横山町東日本橋)に建立。「江戸海岸御坊」「浜町御坊」と呼ばれていた[1][注釈 1]。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現:中央区)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。

1923年9月1日関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。また、58か寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。

現在の本堂は1934年の竣工。古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、当時の浄土真宗本願寺派法主大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井組(現:松井建設)の施工により建築された。大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂は重要文化財に指定されている。

浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。

著名な人物の葬儀が宗派を問わず多く執り行われている。

2015年に銀行員・経営コンサルタント出身の安永雄玄が宗務長に就任し、他宗派信徒や訪日外国人などにも開かれた寺を目指す「寺と」プロジェクトが進められている[2]。電話で相談を受け付けるコールセンターなどに加えて、2017年11月8日にはカフェなどが入るインフォメーションセンターと合同墓を開設した[3][4][5]
本堂本堂全景

関東大震災で失われた旧本堂の復旧事業として1931年に起工し、1934年に竣工した。設計者は伊東忠太。施工は松井組である。鉄筋コンクリート造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)2階建(一部に地下階を設ける)。建築面積は3,149.4m2(平米)。本尊を安置する中央部と北翼部(向かって左)、南翼部(同右)からなる。屋根は陸屋根で、屋上中央に半筒形のヴォールト屋根を上げ、その正面は蓮華をモチーフとしたインドの石窟寺院風のデザインになる。北翼と南翼の屋上にはそれぞれインドの仏塔(ストゥーパ)風の塔屋があり、前者は鐘楼、後者は鼓楼である。中央部正面には4本の列柱を有する向拝と大階段を設ける。本尊を安置する内陣や参拝者のための空間である外陣は大階段を上った2階に位置し、1階は基壇風の扱いになっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:51 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef