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節姫(せつひめ、延宝8年10月14日(1680年12月4日) - 享保15年9月29日(1730年11月9日))は、江戸時代の安芸国広島藩の第5代藩主浅野吉長の正室[1]。別名、安芸御前、加賀御前。 加賀藩第4代藩主前田綱紀の次女として生まれる。母は津田氏。弟は加賀藩第5代藩主・前田吉徳。女性ながら武芸を好み、薙刀や乗馬が得意だったという。
生涯
夫・吉長は藩政改革で成功を収め、「江戸七賢人」の一人に数えられ、広島藩中興の英主・名君といわれたが、後年、吉原の遊郭に通って遊蕩し、気に入った遊女2人と陰間の少年2人を身請し、領国に連れ帰ろうとした。再三の諫言を聞き入れられなかった節姫はこれを知って、吉長への抗議のために遺書を遺して自ら切腹、侍女に介錯させて命を断って諫めた[2]。吉長はこれに驚いて愛妾2人を遠ざけ、節姫を厚く弔い、義弟の前田吉徳と相談の上で幕府に対しては、節姫は急病死と届け出て改易・減封を免れたという。
享年51。法号・源光院。墓所は青松寺。
脚注^ 『石川県史』第2編 (石川県 編) 国立国会図書館デジタルコレクション
^ 『三田村鳶魚全集』
関連作品
海音寺潮五郎 - 『奥方切腹』(文春文庫『剣と笛』収録)
外部リンク
節姫 。人物詳細 。ふるさとコレクション 石川県立図書館